『触法精神障害者』精神障害者の犯罪について考える
4年前、東京・霞が関の家庭裁判所で、離婚調停のために訪れた女性が男にナイフで切りつけられ殺害された。逮捕された男は米国籍で、亡くなった女性の夫だった。
検察は鑑定留置の結果、責任能力に問題はないと判断し、殺人などの罪で男を起訴、懲役22年を求刑する。一方、弁護側は統合失調症による心神喪失を主張した。2023年10月20日、東京地方裁判所は、妄想や幻聴の影響で責任能力はなかったと判断し、男に無罪判決を言い渡した――。
本書は「医療観察法」をめぐるルポルタージュである。
医療観察法と聞いて、内容を説明できる人がどれだけいるだろうか。その前に、そもそもこの法律の存在自体を知っている人がどれだけいるだろうか。
医療観察法とは、心神喪失または心神耗弱の状態で、殺人などの重大な他害行為を行った人間に適切な治療を受けさせるための法律である。重大な他害行為とは、殺人、傷害、放火、強盗、強制性交、強制わいせつを指す。2005(平成17)年に施行されたこの法律の正式名称は、「心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律」という。
だが、施行から18年になるにもかかわらず、この法律がどういうものか、わたしたちはほとんど知らない。なぜ法律ができたのか、それによって何が変わったのか、そして現在はどうなっているのか。著者はわたしたちの知識に欠落している部分を丁寧に埋めていく。医療観察法を通して精神医療の現状がよくわかる一冊だ。
法律ができる直接のきっかけは、2001年に大阪教育大学付属池田小学校で8名の児童が殺害された「付属池田小・児童殺傷事件」である。犯人の宅間守(2004年死刑執行)には15回もの逮捕歴があったが、初犯の婦女暴行を除き、精神障害を理由に不起訴処分となっていた。
当時は精神障害者が他害行為を行った場合に適用される法律がなく、法曹界ではかねてよりその必要性が議論されていたが、治安目的のために刑罰以上の処分を科すことになると日本弁護士連合会などが反対していた。それが8名もの児童が殺される事態に直面し、法律制定へと流れが傾いたのだ(もっとも池田小事件では宅間は精神鑑定で責任能力ありと判定され死刑判決が下された。つまり宅間は法律制定のきっかけになったが、法律の対象者とはならなかった)。
刑法の中の精神障害者に関する規定といえば、よく知られている第三九条がある。
そこには短くこう記されている。
一 心神喪失者の行為は、罰しない。
二 心神耗弱者の行為は、その刑を軽減する。
心神喪失とは、精神障害によって理性的な判断ができない状態をいう。
心神耗弱とは、心神喪失ほどではないが理性的な判断をする能力がかなりの部分失われている状態で、これを限定責任能力と呼ぶこともある。
責任能力とは、法の命令や禁止の意味を理解して、違法な行為を思いとどまることのできる能力だと考えられている。この能力があれば、通常は違法行為を思いとどまることができる。だからこそ違法な行為をしてしまった人には刑罰を科すことができるとみなすわけだ。したがって、自分の意思で思いとどまることができない場合は心神喪失や心神耗弱にあたり、通常の刑を科すことができないとする。これが刑法三九条のコンセプトである。
ともあれ、重大な他害行為を行い、かつ心神喪失や心神耗弱と認められた加害者は、以後は「対象者」と呼称が変わり、精神科病院での鑑定入院を経て、地方裁判所で処遇が判断される。医療観察法が適用されるとなれば、医療観察法病棟のような指定入院医療機関に入院するか、指定通院医療機関に通院しなければならない。これらで治療を受け、回復したとみなされれば社会復帰をするのである。
厚生労働省によると、医療観察法病棟は全国に35施設あり、2023年4月1日現在、男性595名、女性194名、計789名の対象者が入院している。このうち663名が「統合失調症、統合失調症型障害および妄想性障害」に分類されるという。
医療観察法病棟では、医師、看護師、作業療法士、臨床心理技術者、精神保健福祉士らによるチーム医療が行われる。患者一人当たり年間約2000万円の予算が投じられているだけあって、病院の体制は手厚く、適切な治療が行われていることがうかがえる。
一方、医療観察法に反対する声も根強い。背景には精神障害者を危険視し、社会から遠ざけようとすることへの反発がある。医療観察法のベースにあるのは、苦しむ患者を助けようという使命感ではなく、治安維持的な発想ではないかというのだ。精神医療の負の歴史を振り返ると、反対派の主張にも頷ける部分がある。
たとえば1984年、栃木県にあった精神科病院の宇都宮病院で患者への凄惨な暴力が日常的に行われていたことが明るみに出た。これを受けて1987年に精神衛生法、1995年に精神保健福祉法が制定されたが、NHKのスクープによって今年、東京・八王子市の精神科病院・滝川病院で長年にわたり患者への虐待が行われていたことが明らかになった。世間から見えないところに閉じ込め暴力をふるう。根底には精神障害者に対する差別意識がある。負の歴史はいまなお続いているのだ。
賛成と反対、双方の主張がフェアに記されているだけでなく、退院者や被害者遺族などにも著者は話を聞いている。本書のおかげで精神医療の現状をある程度理解することができた。その上で、触法精神障害者の扱いについて、私は以下のように考える。
刑法第三九条は廃止すべきだ。その理由は、現在は削除された第四〇条について考えるとよくわかる。その条文は次のようなものだ。
瘖唖者ノ行為ハ之ヲ罰セス又ハ其刑ヲ減軽ス
瘖唖(いんあ)とは、主に聴覚障害により、言葉を発することができないことを指す。第四〇条は、聴覚障害者は知的能力が低く、責任能力がないと考えられていたことから設けられたものだった。これがとんでもない差別であることは明らかだ。当の聴覚障害者たちからも、障害のない人と同じように犯罪を犯した場合は罰せられるべきだ、と声があがり、第四〇条は1995年に削除された。
これと同じことが、第三九条にも言えるのではないか。
つまり、触法精神障害者として特別扱いすればするほど、精神障害者全体への偏見を助長することにつながるのではないだろうか。精神に障害がある人にも等しく刑事責任を問うこと。刑法第三九条の廃止こそが精神障害者への差別をなくす一歩になるのではないかと思う。
その上で、治療が必要な人には、医療刑務所の体制を充実させることで対応する。これは現在の医療観察法病棟の機能を医療刑務所に段階的に移していけばいい。
あわせて、被害者の権利拡大にも目を向けたい。現在は加害者が医療観察法の対象者となった途端にプライバシーが保護され、その人物がその後どこでどうしているか、知ることができなくなってしまう。これは辛い目にあった被害者や遺族にあまりに酷な仕打ちではないだろうか。被害者側が希望すれば、当該人物の現状をいつでも確認できるよう制度をあらためるべきだ。
著者は精神保健福祉士の資格を持ち、精神障害者のための支援施設で働いた経験もある。これまで接してきた精神障害者のほとんどが善悪の判断がつく人々だったという。いたずらに彼らを危険視し、どこかに閉じ込めて「見えない存在」にしてしまうことだけは避けなければならない。どんな人かわからないからこそ、人はそれを怖れるのではないか。「(相手を)明るい光の下で見たら、普通の姿をしているかもしれない」という著者の言葉には深い説得力がある。
精神障害者についてはもっと自由に率直な議論がなされてもいいのではないだろうか。本書はその際の良きガイドになるだろう。