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喪失に唄う冷たい雨

外では静かに雨が降り続いていた。

今朝の夢は美音の夢だった。白い光に包まれて遠ざかっていく彼女。手を伸ばしたが、僕にはその手を掴むことが出来なかった。そのまま光に吸い込まれるように彼女はいなくなった。

はっと目を覚ますと、時計は朝7時を回っていた。目を閉じればもう一度彼女が現れるような気がしたが、期待とは裏腹にただ真っ暗な世界が広がるだけだった。遠くに雨の音が聞こえる。憂鬱に押し潰されて起き上がれなかった僕は、その日会社を休んだ。

「美音に会いたいよ。」
ごろんと転がって空にそうつぶやくと、部屋の片隅にある手紙の山が目に入った。僕がもうこの世にはいない彼女に宛てた手紙だ。永遠に届くことはないが、この中にはたくさんの"僕の知る美音"が記録されている。山積みになっているそれらは部屋の中でも存在感を放っていた。時折読み返してみると、そこにはいつまでも変わらない彼女がそこにいるようだった。初めは感情を吐露する唯一の場所だったが、そのうち思い出をアルバムに綴っていくような穏やかな作業になっていた。一枚一枚手に取り、懐かしみながらアルバムに収めていく。彼女の存在は変わらず僕の心を落ち着かせた。

昼のチャイムが聞こえると、なんとか起き上がった僕はカップラーメンにお湯を注いだ。代わり映えしない部屋の風景に小さな湯気が昇り立つ。今日もこうやって美音を想いながら一日を終えていくのだろう。ふと思い浮かんだのは墓参りのことだった。

彼女の墓には美音の母親に教えてもらって数回足を運んだことがある。しかし現実味がないその場所では、喪失感とともに虚しさと恋しさが募るばかりだった。決して遠い場所ではなかったが、僕は自然と距離を置いていった。最後に行ったのは何年前だろうか。
そう思うと急に不義理をしているような気持ちになった。せめて墓参りぐらい行ってやれよと、僕は自分を責めた。してやれることは他にはもうないんだ。
それからすぐに車に乗り美音の墓に向かった。

街は電飾に彩られ、クリスマスムード一色だ。道中には彼女の好きだった音楽もお気に入りの店もいつもと変わらない様子でそこにある。
「よっ!ひさしぶり。」
そう言って彼女が今にもそこに出てきてくれるのではないかと思えた。
車の外から"Santa Claus is coming to town"が聞こえてくると、ふてくされる美音の顔が思い浮かんだ。その日、僕がプレゼントを買っていないことがわかると彼女は急速に不機嫌になり、口をきいてくれなくなった。僕はそれから3日、彼女の怒りを静めることに必死にならなければいけなかった。
ひどい思い出だな。思わず笑ってしまう。まるで昨日のことみたいだ。
美音を想うと僕はいつも慰められてきた。

僕は気がついた。いいや、気づかないふりをしていたんだ。どんな時も彼女を側に感じていられることに。手紙の中だけじゃない。彼女はいつも僕の側にいてくれる。
信号が青に変わる。僕は静かに泣いた。涙を拭うと、同じ分だけ涙が溢れて止まらなかった。

墓には几帳面な美音の両親が定期的に来ているのだろう。新鮮な花が供えられ、綺麗な状態に保たれていた。遠くには白髪の老人が犬を連れて墓前に花を生けている。それを横目に僕は美音の墓前に立つ。
「ごめんな、全然来れなくて。こっちは元気にしてるよ。そっちはどうかな。」
そう言って手を合わせたが涙は出なかった。

肌寒い秋の風が吹いて、かわるがわるに雲が流れている。この空がいつも当たり前に存在するように、美音は僕に愛を注いでくれていた。今朝見たあの夢のように明るく暖かい世界に彼女がいたのだとしたら。彼女が穏やかで平和な心でいられるのなら僕はそれだけでいい。

遠くにいる君がどうか幸せでありますように。

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