楽な道と大変な道
目の前に階段とエレベータがある。あなたの行先は5階。荷物はない。特に急いでいるわけではない。あなたはどっちを選びますか?階段派のアナタ、ストイックですねー。ちなみに私は迷うことなくエレベータです(笑)。
ひとは「楽な道」と「大変な道」の二者択一を目の前に突き付けられると、無意識で楽な方を選ぶようにプログラミングされている気がします。何を当たり前なことを!とおっしゃるかもしれませんが、私なりの仮説があります。
ひとは選べるのであれば「今は」楽な道を選び、その後に身に降りかかってくるかもしれない困難な試練を乗り越える「体力を温存」する。それは生命最大の動機である「生き続ける」ために遺伝子に書き込まれた大切なアルゴリズムなんだろうと思っています。
でもこれは、予測不能の困難な試練が不定期に襲い掛かってくるという期間を前提としていて、いつも楽な選択を選べる状況を想定したアルゴリズムではないのだろうと考えるわけです。
私の愛するアニキ、木村東吉さんは自著「ロング・ロング・トレイル」(産業編集センター)のなかで、「Super Ager」(いつまでも若々しい人)の説明として「Pain is weakness leaving the body(痛みを体験すると、身体から弱さが抜けていく)」という海兵隊の説明を引用しながら、「自分はそこに『難易度の高い旅をする』を付け加えたい」と記し、その章の最後をこう締めくくっていますー「老後はのんびりと過ごしていたいと考えているアナタ!そんな妄想(笑)はすぐにゴミ箱に捨て去ったほうがいい。老後なんていう言葉はこの世に存在しない。いつまでも他者から必要とされ、忙しく身体と脳を酷使していてこそ、人は幸せになれるのである。」ー
これは運動に限ったことではない。私がチームのなかで「性悪説より性善説」を大切にしている理由、それは「性善説に立つ方が大変だから」です。そしてひとが「性悪説に立ちたくなるのは、その方が楽だから」。性悪説にたってルールで縛れば、人々がそのルールに従うという前提であれば管理はたやすい。違反は罰すればいい。
ところが性善説ではそうはいかない。行動を縛るものがなくなるから、予想外の出来事が頻発するかもしれない。管理者としては後始末が大変だろう。誰かに迷惑をかけて謝らないといけないこともたくさん起きるだろう。
それでも「忙しく身体と脳を酷使してこそ」、いつまもチームが若々しくあり続けることができるはず。トラブル上等。失敗や迷惑歓迎。そのくらいの気持ちで仲間たちと前に進んでいけたら、そしてそんなひとが一人でも増えたなら、きっとこの世の中は少しだけシアワセになるんだと思います♪
今日という日が素敵な一日でありますように!