「グリーンデスティニー 臥虎蔵龍」
2000年中国・香港・台湾・アメリカ合衆国
第73回アカデミー賞® 4部門(外国語映画賞 / 撮影賞 / 作曲賞 / 美術賞)
監督製作:アン・リー
キャスト : チョウ・ユンファ / ミシェル・ヨー /チャン・ツィイー
あらすじ
清代。武侠の女剣士ユー・シューリン(ミシェル・ヨー)の家に、達人と名高い剣士リー・ムーバイ(チョウ・ユンファ)がやってきた。ムーバイは、シューリンの亡くなった婚約者の親友である古馴染みだ。
再会を喜ぶシューリンに、ムーバイは思いがけないことを依頼する。銘剣グリーンデスティニーを都の有力者ティエ氏に献上してきて欲しいというのだ。
グリーンデスティニーは、既に失われた400年前の技術で作られた宝剣で、達人にしか扱えない。今はムーバイが持ち主だが、手放す決心をしたのだ、という。
驚くシューリンにムーバイは言う。悟りを求め長年剣の修行を続けてきたが、得られたのは虚無だけだった。これからは剣を手放し、静かに生きたい、と。戸惑いながらも、自身もまた剣士であるシューリンは理解を示し、グリーンデスティニーを携えティエ氏の屋敷に向かった。
ティエ氏の屋敷には、嫁入りを控えた貴族の娘イエン(チャン・ツィイー)が滞在していた。イエンは、政略結婚に反発し、武侠たちの自由な暮らしに憧れると語った。イエンには少々武術の心得があるようだ。
気ままに見えても武侠にも掟はあると諭すシューリンに、イエンは姉になって欲しいと申し出る。心を通わせ合う二人だったが、その夜、屋敷に異変が起きた。盗賊が忍び込み、献上したグリーンディスティニーが盗まれてしまったのだ。
どうやら犯人は、ムーバイの師匠を殺した仇敵、盗賊ジェイドフォックスらしい。ムーバイとシューリンは、剣の奪還と仇討ちのため、ジェイドフォックスを追う。
二人はグリーンテスティニーを取り戻し、愛する人との静かな暮らしを手に入れることができるのか?
そして、不可解な行動をとるイエンの思いとは――?
感想
まずね、カンフーアクション映画だと思って見始めますよね?
だってアクション監督がユエン・ウーピンですもんね。ウーピンといえばマトリックスだしワイヤーアクションだし、あの頃の香港映画ったら、みんなピューピュー空飛んで、くるくるスピンしてましたもんね。当然です。
まあ、間違いじゃないんですよ。チョウ・ユンファはカンフーできない香港スターとして有名(?)ですが、かなり頑張ってます。二丁拳銃を剣に持ち替えても、ちゃんとカッコいいです。剣の達人に見えます。ミシェルとチャン・ツイイーは文句なくキレッキレです。皆さん、気持ちいいぐらい空飛んでます。回転してます。エレガントです。ワイヤーワーク・カンフー映画としてちゃんと一級品。そこはハッキリ言っておきます。
でもね、監督がアン・リーなんですよね。
さらに、ヨーヨー・マが音楽で参加してて、チェロ弾いちゃったりしてるんですよね。
そりゃあシットリしてきますよ。なんかね、全体的に画面がジワッと潤ってるんですよ、この映画。たとえ砂漠のシーンであったとしてもね。
潤ってるもんだから、ムーバイがただ立ってシューリンを見つめてるだけなのに、私としては「もう、そんなに好きなら、とっととさらっちゃえばいいのに!!」って焦ったくなってきちゃうんですよ。
この、アン・リー監督作品の、セリフなくても画面に恋心ダダ漏れ、かつ上品で抑揚がある感じってなんなんですかね? 素晴らしくないですか? 大好物なんですけど。
で、周囲もムーバイとシューリンの結婚を許してるっていうかむしろ望んでいるくらいなのに、当の本人たちがね、故人にまで誠実であろうとして、長年守ってきた一線を易々とは越えられないっていうね……。
うう、じれってえ!
お前ら素直になれ!悟りなんて今更だろ!煩悩に身を焦がせ!
……と、しがない観客としては、もどかしがりながら見ているしかないわけであります。
そしてそんな理性強すぎる大人剣士二人とは対照的に、心のままに暴走するのが、お嬢様剣士イエン。
イエン、強いんだけど、それだけじゃないんだよね。暴れ方がもう凄まじいの。笑っちゃうぐらい凶暴。多分、イエンわがまますぎ!みたいな感想を持つ人もいるんじゃないかな。でも、私は観ていて切なかった。
だって貴族の令嬢なんて家のコマでしかなくて、彼女のいる場所は豪華で、恵まれているように見えても、所詮、檻の中。父親の権力のため、家のため、好きでもない男に売られるのが彼女の人生なんだよね。その絶望。
そして、彼女に武術を仕込んだ師匠もまた、女であるが故に武術への情熱を踏み躙られた恨みから道を誤り、その怨念を注ぎ込むようにしてイエンを育てた。
つまり、ムーバイとシューリンに出会うまで、イエンの周囲には希望を語ってくれる誠実な大人がいなかったんですよね。だから、今更、誠実な大人が現れたとしても、その言葉を簡単には信じることなんてできない。気位が高く、自由な魂を持つイエンとしては、全てを破壊し尽くす勢いで暴れないわけにはいかなかったんじゃないかな。
原題の「臥虎蔵龍」は、「まだ世に出ていない隠された才能の持ち主」という意味なんだそう。イエンのことなんだろうけど、でも、どんなにイエンに武術の才能や情熱があったとしても、いろんなしがらみや人々の愚かさが彼女を雁字搦めにして、心を歪ませてしまっている。この苛立ちと切なさ。
それが見事に表現されているのが、後半の竹林でのアクションシーン。
どこまでも広がる迷路のような無尽の竹林を、風が葉を鳴らしながら巡っている。その中で繰り広げられる闘いは、剣士たちの無言の会話であり、緊張感を孕みながらも舞のように美しい。剣を振るたびに、竹がしなり、心が揺れ、イエンが無垢な原石であり、注意深く取り扱わねば壊れてしまうあやうさを持っていることが観客の目に鮮やかに刻み込まれていく。
ああ、アン・リーを監督としてカンフーアクション映画が作られるってことは、こういうことなんだな、と唸らざるを得ない名シーンだった。
ネタバレしないことにしているので、ラストについては詳述しないけれど、気持ちよく終われない観客もけっこういるんじゃないかなってことは書いておく。それもわかる。スッキリはしない。怒っちゃう人もいるかもしれない。
ただ、私は納得したかな。
愚かな大人たちの作った世界で、臥虎であり蔵龍であった彼女には、ああすることでしか飛翔することが出来なかっただろうと思うからだ。