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終戦の日が近いので戦争についてざっくり調べてまとめてみた

8月15日は終戦の日です。学生の時に散々習ったはずなのに、月日が経ったからなのか、真剣に授業を受けていなかったからなのかその記憶は曖昧です。(恐らく後者)

日本は世界唯一の被爆国であり、その悲惨さは全ての国民が理解しているし、核のない世界を訴えるリーダー国である役割も重要です。

2020年9月、広島の原爆ドームを見に行った時その佇まいに言葉を失ったのを覚えています。今回はその近づく終戦の日に向けてもう一度ざっくり太平洋戦争(大東亜戦争)の経緯について調べてみることにします。

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太平洋戦争(大東亜戦争)への経緯

1937年7月、大日本帝国(日本)は中華民国との戦争を開始します。俗に言う【日中戦争】です。正確にはお互いが宣戦布告をしていないので事変というそう。 紛争勃発時【北支事変】→第一次近衛内閣の閣議決定【支那事変】
この時、昭和天皇はこの戦争に反対だったそうです。

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勢力図は以下です。

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【大日本帝国側】    【中華民国側(国民政府)】
・満州国          ・中国共産党
・蒙古聯合自治政府     ・アメリカ
・中華民国(汪兆銘政権)    ・イギリス
              ・ソビエト連邦
              ・ベトナム独立同盟会

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この戦争の長期化を懸念したアメリカは日本への航空用燃料や鉄鋼資源の輸出を制限します。

困った大日本帝国(日本)は1940年、ドイツ・イタリアと【日独伊三国軍事同盟】を結びました。

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その後日米交渉は難航。御前会議で日米交渉の打ち切り、日米開戦決定へと進みます。

太平洋戦争(大東亜戦争)開戦

1941年12月8日頃、大日本帝国(日本)は択捉島からハワイ真珠湾へ進行中だった艦隊に「真珠湾へ奇襲攻撃をせよ」と命令を下します。

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後に【真珠湾攻撃】となり、イギリス・アメリカへ宣戦布告し【太平洋戦争(大東亜戦争)】の開戦となってしまいます。

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ポツダム宣言受託まで

1941年12月の真珠湾攻撃に始まり、1942年6月の【ミッドウェー海戦】、1942年8月の【ガダルカナルの戦い】、山本五十六の戦死などを経て、日本の戦況は芳しく無く、ボロボロの状態でした。1945年2月、【硫黄島の戦い】や4月の【沖縄の戦い】は特攻隊を組み、特攻隊をもって相手を攻撃するという苦肉の作戦をせざるを得ない状況でした。

1945年7月、ポツダム会談が開催され、大日本帝国(日本)へ無条件降伏を促すポツダム宣言が行われます。しかしそれを無視。運命のあの日がやってくるのです。

ヒロシマ・ナガザキ原子爆弾投下

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1945年8月6日未明。原子爆弾リトルボーイを載せたB-29がヒロシマを目指して飛んでいました。
幾つかの目標都市の中で連合軍の捕虜収容所がないだろうと推測され投下目標に決定したそうです。

参考:ひろたび

そして1945年8月6日8時15分、広島に原爆が投下され、一瞬にして街は火の海となりあの惨劇が起こったのです。同年8月9日に長崎県長崎市にも原爆は投下されます。その後8月10日にポツダム宣言受託。実質終戦を国民に知らせる玉音放送は8月15日。9月2日に降伏文書調印となりました。

数多くの犠牲者を出し、突き進んだことによって惨劇を生んだ太平洋戦。この悲劇は繰り返してはいけないし、未来永劫後世に語り継いでいくべきことだと改めて思いました。

これは現代の政治や会社内での変化にも通ずるものがあると思っていて、駄目なこと・おかしいと思うことにはキッパリと声を上げることが大切だし、効果的に確実に届ける方法も考えるべきなのかもしれません。

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