「火のないところに煙は」を読んで
冒頭、この本の中から個人的に印象に残った一文を書いておきたい。
ーーーその霊との縁を作りたくなければ、寄り添うように語りかけてはいけません。関わりのない死者に対して祈りを捧げることは、それまで存在していなかった縁を自ら作ってしまうことになります。
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【残穢-住んではいけない部屋-】という映画がある。この映画は著 小野 不由美さん 新潮文庫から出版された残穢という小説が基になっている。
故 竹内結子さんが主人公「私」視点のナレーションで物語が進み、観ている側はそのナレーションを案内に俯瞰しながら見つめる世界観に吸い込まれる映画だと私は思う。
残穢は小説家である「私」のもとに、岡谷マンション204号室に住む「久保」から手紙が届いたことがキッカケとなり、怪奇の真相に迫っていく物語だが、映画ではナレーション効果はプラスして没入感は高い。
今回読んだ著:芹沢央さんの【火のないところに煙は】も何処からかそのナレーションが聞こえてきて没入出来る本だった。芹沢さんの本はこれで2冊目だ。前回、本屋で見かけた【許されようとは思いません】を手に取って読んでみたところ同じように引き込まれる書き方に鳥肌が立ったのを覚えている。
この手の書き方で好きなのは【出版禁止】などで知られる長江俊和さんの本も同じだ。
本を読む時に誰かがナレーションをしてくれているような感覚はグイグイとその世界に入り込む。更にこの【火のないところに煙は】や【残穢】などには共通する部分がある。それは最初は点だった怪奇が実は繋がっているという点だ。
詳しくはネタバレとなってしまう為書かないが、海外ドラマでも良くある良いところで次に繋がる含みを持たせるというやり方で、1話目から2話目に繋がり...というギミックが次へ次へと読みたくなる。その怪奇に触れた者、縁を作ってしまった者が次々と巻き込まれるという流れはあの有名な映画リングにも共通する。見てはいけない呪いのビデオを軸にして話が進むからだ。
神楽坂を舞台にした原稿を書きませんか?そう提案された「私」が怪奇の縁に触れ、その怪奇に刺激された様々な話が繋がっていくことでドキドキ感は強くなっていきやはりクライマックスは鳥肌が止まらない。
文を読み終えたところで前のページ、または前の物語に戻るという伏線回収作業は快感に近い。是非一読をオススメする。
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現実世界にも触れてはいけない縁というのが存在するのではないかと個人的に思う。「嫌な予感がした」もし少しでもそう思うなら避けた方がいいだろう。意外と直感というのはいざと言う時当たる。ここでもう一度本文中の文を一部引用する。
ーーーその霊との縁を作りたくなければ、寄り添うように語りかけてはいけません。関わりのない死者に対して祈りを捧げることは、それまで存在していなかった縁を自ら作ってしまうことになります。
触らぬ神に祟りなしとは正にこのことである。
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