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電電公社の二つの電気通信学園

祖父の古写真帖からの記事です。
戦後、逓信省は郵政省と電気通信省(後の日本電信電話公社)に別れました。山科郵便局も電信電話は電話局として分離します。祖父はこの時郵便局から電話局へと異動します。
電話局勤務となってから電電公社の社内学校の電気通信学園に入校します。

京都電気通信学園卒業記念 昭和32年(1957)7月31日

まずは京都電気通信学園に入校。卒業が昭和32年(1957)7月とわかっていますが、入校の日は不明です。ここは電気通信の中等教育に該当する学校らしく、後に触れます鈴鹿の電気通信学園は高等部なので教育内容が異なるようです。
庁舎が写っていますが今現在、残存している京都地区の旧電電公社系の建物とは一致するものが見つからず、既に建物は解体されたものと思わられます。どこで撮られたかは特定できませんでした。


鈴鹿電気通信学園専修部電報中継機械運用科加入局班入学 昭和35年(1960)8月16日


鈴鹿電気通信学園にて 日時不明
鈴鹿電気通信学園にて 日時不明

続く3枚の写真は鈴鹿の電気通信学園で撮られています。鈴鹿電気通信学園は海軍鈴鹿航空隊の基地跡を使ったものです。電電公社の民営化後鈴鹿電気通信学園は廃止され、鈴鹿医療技術大学になっています。
一番最初の入校時の写真のみ日付が昭和35年(1960)8月16日とわかっています。後の2枚は服装が異なりますが、卒業までの入校期間内のものと考えられます。
背後に写る庁舎は海軍時代のものと思われます。

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