架空の名前
noteには「逃げる」ためにやってきた。
僕は音楽を作る。気取った言い方をするならば「ソングライター」。歌は歌わないから「シンガー」は付かない。歌の部分はボーカロイド、つまり合成音声ソフトが担ってくれる。
僕はいわゆる「ボカロP」と呼ばれている。
宣伝の一環でTwitterを始めてからずいぶん経った。最初のうちは「曲の宣伝目的でTwitterをやるなんて」と思っていたけど、そういった考えはわりと早い段階で捨てた。単純にTwitterというツールが面白かったし、生活の面で言えば情報の取得が早くなった。3.11の時は特に助かった。
そんな感じでTwitterを使っていたのだけど、フォロワーが如何せん増えすぎた。そして長年勤めた商社を辞め、次の会社も大喧嘩の末に辞めた後、しばらくtwitterをやっていてふと気が付いた。Twitterでの自分はかなり「音楽やっている人間」としての振る舞いが多くなったのではないかと。
前は兼業だったのだけど、メインの仕事と音楽の仕事という垣根がなくなった今、かなり音楽方面に力を入れたコトばかりをツイートしているように思う(100%ではないけど)。そのバランスが悪くなってきて、なんとなくペルソナを付けているような気持ちが強くなってきた。ネガティブなコトは避け、プロモーションも含めたツイートも増やし、俗っぽい言い方をするならミュージシャン然とした振る舞いを多少意識し始めた。それがなんとなくバランスが悪いように感じたのだ。
この気持ちをどうしようかなと思った時に、noteを見つけた。だいぶ前に登録したんだけど使い方を持て余していた。だからこっちでは「ボカロPとしての自分」「音楽を作っている自分」とはまた別の自分であろうと。愚痴も言うし感情のままに思ったコトを記そうと。そう思った。だからTwitterとも連動させていないし、Twitterのフォロワーでこのnoteを知っている人もごく数人しかいない。今後も明かすつもりはない。
Twitter主観で見れば、noteにいる「あおいのあ」は裏アカだ。
同時に素の自分の感情をメモる表アカでもある。そうあるために、音楽制作をしている時の名前を使っていない。noteのためだけに付けた名前。本名とも被らない名前。いや少し被っている。本名のアナグラムと、自分の好きな色を合わせて「あおいのあ」。回文みたいで回文ではなく、姓名の垣根が一瞬わからないのが少し気に入っている。
noteには「逃げる」ためにやってきた。
でも、「帰る」場所にもなった。