【映画感想】アイアンクロー
※ネタバレ注意※
事実は小説より奇なり……これが史実を基にしたとは思えないほどに、悲劇的な物語である。尚、実際は更にもう一人兄弟がおり、同様に悲惨な末路を辿っているというのだから、本作はどちらかというとマイルドな内容になっているのかもしれない。
始めに書いておくが、ぼくはプロレスに全く明るくない。アイアンクローという必殺技もなんとなく耳にしたことがある程度で、フリッツ・フォン・エリックの名前も聞いたことがなかった。しかし、フリッツが活躍した時代を駆け抜けた世代の方々に問うてみると、みながみなプロレスに熱狂したという。いかにプロレスが注目を浴びていたかを思い知らされた。
(余談ではあるが、ぼくの勤務先のおじさんは「プロレスに台本があるなんていう輩は無視するとして、ハーリー・レイスとリック・フレアーはプロレス界最強だった」と述べておられた)
本作は伝説的なプロレスラー、フリッツ・フォン・エリックとエリック家にまつわる悲劇を独自に解釈し、再構成した物語であろうか。それとも、限りなくドキュメンタリーに近い内容なのであろうか。そこまでの調査は行っていないものの、実際に息子たちが亡くなった年齢、その死因を紐解いてみると、そうフィクションと切り捨てられるものではないだろう。
というのは、フリッツという絶対的な親の影響で、ケビンを除くほかの息子たちは短すぎる生涯を送ることになったいう事実がある。当然ながら、ぼくは彼ら息子たちのすべてを知っている訳ではないから、それが不幸だと軽々しくいうことはできない。しかし、史実および本作で描かれている彼らは、父親が施した呪いに死ぬまで苦しめられていた。ケリーが自害した後、川辺で早逝した兄弟と再会するシーンは印象的だ。世間一般的に、自害は推奨されるべきではないし、賞賛されるべきでもない。ぼくもそう思っている。ただ、このときのケリーや兄弟たちは間違いなく救われていたし、観客であるぼくもそう思った。彼らの魂が父フリッツから解き放たれ、穏やかなる悠久を過ごせる喜びに満ちていると感じた。本作は素晴らしい映画であり、呪われた彼らに救いのシーンを与えているものの、ともすれば「自害」を肯定しているともとられないか。これは解釈が分かれるところかもしれない。(そういう葛藤に観客を導く映画ということで、本作は確かな力があるのだろう)
また本作では長男(次男だが、長男が幼くして亡くなっているので敢えて)でありながら、父フリッツから期待されず報われず、家族とただ平穏な日々を過ごしたいという望みすら打ち砕かれ、兄弟で一人残されたケビンが家族を守りきり、健やかな余生を送っているのが救いでもある。長男というのは、苦労性とよく言われる(気がする)が本当なのだろうか。弟たちは、両親が子育てに慣れかつ洗練されるから教育が上手くいくとか、兄が怒られる姿をみて弟は学習するとか言われるが……。ケビンとケリーのいずれかがタイトルマッチに参加するとなり、コインで決めるシーンがあるが、あれにも一抹の疑いの念を抱かずにはいられない。それほどに、父フリッツのケビンへの仕打ちは酷いものがあると思った。(ぼくが長男なのでケビンに感情移入している面はあるかもしれない)
本作では実話を基にしたとしながらストーリーもキャストの演技も秀逸であり、何より演出もまた素晴らしいと思う。個人的に特に目を引かれたのは以下2シーンだ。
一つ目は食事のシーンだ。大家族と言えば、食事のシーンという気もするが、ケビン、デイビッドがプロレスで輝きはじめ、ケリーは陸上競技でオリンピックに出場、マイクもまた未来に夢をみる…そんな序盤の食事シーンは豪勢ではないものの、和気あいあいとみながテーブルの食事をとり合いながら、活気に溢れている。母はどれだけ食事を作っても、足りないのではないかしら…と困り顔を浮かべながらも幸せを感じていたはずだ。それに対して、デイビッドが不幸な死を遂げた後の食卓はどうだろう。誰もが沈み込み、食卓の食事も一向に減っていかない。食卓というのは、その一家を映し出す鏡のようなものではないだろうか。
二つ目は一人残されたケビンがリック・フレアーとの対戦に向けて、孤独に練習するシーンだ。手前に大きく映し出されたロープが、ケビンの突進とともに揺れ、ケビンは離れ、そしてまた揺れる。無機質な繰り返しのシーンだが、ケビンの孤独を象徴する良いシーンだと思う。
本作は他にも印象的なシーンが多い。(事実は小説より奇なりと書いたものの)史実を映画化するにあたり、作品性を高める工夫が凝らされているのだろう。不幸を予兆させるシーンは、痛切でありながら叙情的だ。ケリーがバイク事故に遭うシーンでは酩酊状態、夜道、明かりが少ない、加速し続けるスピードなど、これでもかと伏線が重ねられる。観客はケリーの事故死を予感するが、朝のシーンではケリーの生存が明かされ安堵するのも束の間、突如右足がないことを提示されるのだ。この感情の揺さぶり方は芸術的だ。
また後遺症に苦しむマイクが死を選ばざるを得なくなるほどに追い詰められるシーンも儚く、哀しくもまた美しい。かつての夢だったギターを弾けなくなる絶望が、彼が愛した唄に彩られる。
本作では兄弟の絆とともに親の教育の在り方について描かれているとも思う。昨年芥川賞を受賞した市川沙央さんの「ハンチバック」でもマチズモが生み出す危険について警鐘が鳴らされていた。男らしさへの信奉が、誰かを傷つけるかもしれない可能性について、考えるべきだと思う。