【映画感想】インサイド・ヘッド2
※ネタバレ注意
映画館で吹替版を鑑賞。実は1は当時観ておらず、直近で字幕を鑑賞してからの2、ということになった。(2も字幕で観たかったが、時間が合わず……)尚、1は素晴らしい作品だと感じたため、期待はうなぎ登り。1は頭に潜む感情たちの擬人化という突飛な設定ながら、決して子供向けではない、全世代が楽しめる内容だったと思う。
2では立派なティーンに成長したライリーの、またもや感情たちの目まぐるしい騒動が描かれる。物語の冒頭で、司令部内に大きな警報が鳴り響き、ライリーに思春期の訪れが告げられる。アイスホッケーの大会で優勝し、憧れのコーチに特別な練習合宿に誘ってもらった夜のことだ。その決勝戦でライリーはペナルティも起こしてしまっている。思春期を呼び起こすトリガーとしては十分なのだろう。
その夜、ヨロコビを中心とした感情たちは思い出の選別を行い、そのショッキングな記憶をライリーから取り去ろうとする。1でヨロコビはカナシミを疎み、ライリーから遠ざけようとしながらも、最終的にはライリーにはカナシミも必要であることに気づいたはずだった。そんなヨロコビが不要な思い出と簡単に捨ててしまおうとすることにやや違和感は覚えた。
キャンプに向かう途中、ライリーと同じホッケーチームの親友二人は別の学校に進学するということが明らかになる。しかも、親友二人はお互いに知っていたようで、ライリーだけに知らされていなかったようだ。ライリーは、親友と最後のチームを組むか、進学先の憧れの先輩と組むか悩まされるが、正直後者を選ぶのは仕方がないと思ってしまう。それでも罪悪感を覚えてしまうのが、ライリーのいいところか。
思春期にとなると、1で活躍した根源的な感情である喜び・悲しみ・怒り・不安・苛々、これらを素直に出せなくなる。 プロデューサーのインタビューでは「感情の乗っ取り」という表現をされていたが、言い得て妙だと感じる。心配、羞恥、羨望、怠惰(の振り?)がといった新たな感情たちが根源的な感情を支配し、乗っ取ってしまうのだ。
言うまでもなく、人間は年齢を重ねるごとに感情は豊かに、そして複雑になっていく。たとえば、「美味しいものを食べる」という出来事にたいして、子供はただ純粋に「喜び」を感じるのに対して、大人は「このお値段なんだから」「健康への影響は」「一緒に食べてくれる人がいるがいるから更に美味しい」「またいつかもう一回食べたいな」などさまざまな感情が渦巻く。それは成長でありながら、必ずしも良いことばかりではない。根源的な喜怒哀楽を失うことは、人生の歓びを失うことと同義ではないだろうか。
当たり前かもしれないが、それに気づかせてくれるという意味で良い作品だと思う。
ただ、1と比較するとどうしても気になる点があるのは否めない。前述した点に加えて、”心の中の封印された扉”に住まう、子供の頃好きだったアニメ、お気に入りのゲームキャラクター、そしてエンディング後に明かされる秘密、これらは正直、蛇足に感じた。もしこの設定を活かすのであればもっと上手な描き方があったと思う。個人的には好みではなかった。
トータル良い映画だったと思うが、1と比較して落ちてしまうのは仕方がない。1は斬新な設定という新鮮さに加えて、より人格が枝分かれする前の児童期を描いているため、共感値も高くなる。ティーンというのは、非常に複雑でややこしい。故に、共感できずに気になる点が目についてしまう人も多いだろう。
一方、1で伝説にしても良かった映画のハードルが高くなることが予想される続編を製作するというチャレンジ、そして歴史的な入場者数を叩き出している現実には賞賛したいと思う。また、1ではライリーの感情内に理想のボーイフレンドが現れるなど、恋愛感情へと至る伏線が張られていたが、本作では恋愛に関して全く言及されることはなかった。もしかして続編で描かれるのかも。