【映画感想】花嫁はどこへ
年末に素晴らしい映画体験をした。年間ベスト10に入る作品!
コメディという位置付けながら、決してその枠に収まらず、インドの世相を反映する様はドキュメンタリーのようでもある。それが上質な人間ドラマに昇華されているので、文句のつけようがない。
序盤はインドという国の現実を観客に提示しながら、「花嫁の取り替え」という本作品の起点へもっていく。この流れに無理がなく、無駄がない。何故、日本(やほかの国々)では到底考えられないような事件が起こったのかを分かりやすく説明している(日本でいう大安吉日に結婚式が多く行われる、花嫁はヴェールを被る、車の普及率が低く電車を利用する人が多いなど)。ちなみに電車で隣に座っていたおばさんが、「席が空いたわ」→そのあと更に混みだす→「さっきの方が良かったわ」という展開はおばさんの表情含めて面白く、お気に入りのシーンである。
新郎ディーパクは誤って他人の花嫁ジャヤの手を取って走り出すが、この時ジャヤは明らかに誤りに気づいている素振りをしている。しかしそれを申告することなく、ディーパクに追従して村まで辿り着く。ここで観客が抱えた違和感は、徐々に明かされ、クライマックスで全貌を現す。即ち、花嫁の取り替えは半分は事故なのだが、半分は故意的であるというのが非常に面白い。
日本含めて他国であれば、このような事態はまず起こり得ないといえるだろう。光と闇の両面性を反映させて、インドという国の事情を存分に作品に生かしており、その結果「展開を予想させない」作品となっている。これが本作の魅力をもっとも高めている理由だと思う。
(ぼくは比喩としてよく「ジェットコースターに乗せられているような作品」と形容するが、まさにそんな作品)
本作のもう一つの魅力は物語の中で登場人物が”生きている”と思わせる描写力だろう。言うまでもなく、現実で生きている人間には絶対的な善も悪もなく、また与えられた役割などもない。それぞれに意志があり、自分勝手になったり、誰かを助けたり、理由なく動いたりもする。そんな清濁併せ持った登場人物たちが本作のリアリティを高めていると思うのだ。(印刷会社勤務や親戚にとんでもなく絵が上手いなどのご都合主義はあるものの、そういうことではない)
たとえばジャヤは自らの目的のため、嘘を吐いてディーパクの家に潜り込むが、自らの目的よりもディーパクとプールの再会を優先させる。また本作のキーマンと言ってもいいだろうマノハル警部補は、汚職に塗れ、公共への奉仕ではなく自らの利のために働くとんでもない警官だが、最後はジャヤを救い出す。またメインキャラではないが、ディーパクの姉と姑(即ち、嫁姑問題)は、当初、不穏な空気を醸し出していたが、ジャヤとの交流を通して、やがて暖かな絆を紡いでゆく。人と人の繋がりが、思いもよらぬ展開を生み出していくのだ。
特に、置き去れにされ途方に暮れるプールに手を差し伸べる、”駅の二人(マンジュ、チョトゥ)”が素晴らしい!決して優しくはない世界で、不貞腐れず、世を捨てず、誇りをもって生きている。プールが受け取ったものは計り知れないはずだ。
男であるぼくが簡単に断じられるものではない、と前置きしながらも。
マンジュ、プール、そしてジャヤ。彼女たち女性が、ただ自由に生きていくことすら難しいインドという国の現実を知らしめながら、それでも希望は失われていないというメッセージ性あふれる素晴らしい作品だったと思う。
ディーパクがラストシーンで放った言葉「夢に許しはいらない」。まさにこの言葉が全てを表しているのではないだろうか。