【映画感想】『ぜんぶ、ボクのせい』…スクリーンから目を背けてはいけない
久しぶりに映画で圧倒された。ラストシーンの優太の声と眼差しが脳裏に焼き付いて離れない。
彼の汚れなき瞳が見つめるのは、間違いなく、いま日本で生きている大人たち全てだろう。この瞳から、目をそらさず見つめ返せる人が果たしているのか。監督が、「最後のアップありきでキャスティングした」というのも頷ける鮮烈なシーンだ。
ラストシーンは言わずもがなだが、主演の白鳥晴都の存在感が際立っていた。早朝の薄氷のような、雨上がりの蜘蛛の巣のような儚い煌めき。大人になる直前の少年が一瞬だけ放つ、触れたら壊れてしまいそう繊細さと、ひたむきな力強さが見事に融合していた。
ラストシーン以外で特に印象的だったのが、オダギリジョー扮するおっちゃんこと坂本から「死ぬ権利」についての話を聴く場面。この時の優太の哀切とも得心とも言い難い絶妙な表情に、彼の役への入り込みを見た気がする。
オダギリジョーの演技もまさに神業と思った。坂本の振る舞いは、触法行為含め、礼節を重んじる日本人からはかけ離れている。一歩間違えれば、嫌悪の対象になりかねないはずなのに、不思議と好意すら生まれてしまった。人懐っこい笑顔と、子供のような純真さ、そして「貧乏人は貧乏人からは盗らない」という一貫した矜持のようなものが、キャラクターの魅力を引き出しているのだと思う。
一見恵まれているようにみえるが、その実、自らの境遇に喘ぎ苦しんでいる詩織は一番複雑な役どころだと思った。他二人と比較すると、どうしても その苦しみが分かりづらかったが、物語途中で「私は恵まれているはずなのに」という台詞があり、そこからキャラクターの奥行がぐっと深まった。母親の喪失もまた、彼女の心に傷痕を残しているのだと思う。
夜の海岸で優太に「夢で逢えたら」を唄うシーンは文句なく美しい。伸びやかで透明感のある歌声で、語り掛けるように歌う詩織。潤んだような瞳で見惚れる優太。どれだけ世界に打ちひしがれても、この世界に救いはあるのだと思わせてくれる。
総じて、本作は三人の登場人物のアンサンブルが核となっていると思った。
最後に、パンフレットに、優太の母が依存する山崎を演じる若葉竜也の興味深いコメントがあったので紹介したい。
撮影が終わって、帰り際、自分の身体から煙草と焼きそばと埃と生々しい女性の甘いニオイがして、「ああ、こういう役をやっていたんだなぁ。」と実感しました。あのグロテスクなニオイが観客の皆様に届きますように。
いやはや参りました。ガツンと届きました笑