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【映画感想】高速道路家族
※ネタバレ注意※
これは、韓国風社会派ドラマ、といったところだろうか。
主人公一家は居住地を持たず、高速道路上のサービスエリアを転々とする、いわばホームレスである。子供たちは戸籍こそあれ、学校には通っておらず、両親も定職に就いていない。韓国の社会保障について詳しく知っているわけではないが、日本とそう大きく変わらないと仮定すると、突飛な設定にも感じる。いや、ぼくが知らないだけで、日本にも彼ら一家と同じような家族が存在しているのだろうか。資本主義社会の辿り着く果てを見せつけられたような気もする。
韓流作品全体に言えることだが、とにかく役者陣の演技が巧い。登場人物たちが世界のどこかに存在していると思わせる現実感があり、演技が自然で無理がない。本作で特に目を引いたのが、ヨンソン役のラ・ミラン。多くは語られないが、不幸な事故で子供亡くした過去を持ち、現在は夫であるドファンと中古家具を切り盛りする中年女性である。そして詐欺に遭いながらも、加害者一家であるジスクとその子供たちに救いの手を差し伸ばす。彼女の行いはドファンが指摘したように、我が子を亡くしたという心の隙間を埋めようとする行為に等しいのかもしれない。だが、始まりはたとえそうだったとしても、ヨンソンの中に、徐々にそれ以上の意味を持ち始めたのではないか。それはウニに読み書きを教える中で再び芽吹いた母性かもしれないし、妊娠中のジスクに過去の自分を重ねたのかもしれない。いずれにせよ、ヨンソンには一言で言い表せられないような深み、奥行きがあり、それを吹き込んだのがラ・ミランの好演だと思うのだ。
本作には「あなたはこの家族に手を差し伸べてあげられますか」というのキャッチコピーがある。ヨンソンは完全ではないにしろ、手を差し伸べた人間だ。では、自分ではどうか。首を縦に振ることができる人は非常に稀だろう。まず現実的な話として、衣食住を与えるための一定の経済力が必要だ。また恒久的に養うわけにもいかないから、雇用できるか、または職を紹介できるか、といった問題もある。そういった意味でヨンソンはいずれも条件を満たしていた。いや、この問いかけには、もっと根本的で別の問題がある。
それは心情、心の問題だと思う。
人が誰かに何かを与える時、多かれ少なかれ、また自覚のあるなしにかかわらず、見返りを求めている。それは物理的なものだけでなく、心情的なものも含まれる。ヨンソンにとっては無意識かもしれないが、彼女の行いには、『心の隙間を埋める』といった目的があったと推察する。だが、ぼくはこの世界に心の隙間のない人間など存在しないと思う。当然、その隙間の容積は人それぞれだ。米粒一粒ほどの人もいれば、大海原のように一面に広がる空虚さを抱え、日々を彷徨している人もいるだろう。もし今ぼくが、”優しさ”という曖昧で頼りない言葉を定義するのであれば、その心の隙間の柔軟性だと言いたい。心の隙間を埋めるという限りなく個人的な欲求と嘯いて、他者への無償の愛を捧げること。これが優しさの形だと思う。
ヨンソンの行いは、ある視点から見れば、独善的だと切り捨てられるかもしれない。しかし、ジスク、ウニ、テクにとっては紛れもない救いだったに違いない。