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子どもの頃の話ーおいたち〜祖父母編ー

こんにちは、noaです。

自分自身を大切にすることの必要性に気づいてとことん自分と向き合うことになる私にかかせないエピソードとして、子どもの頃の話をしたいと思います。
文字にするとネガティブに聞こえてしまう部分もあるかもしれませんが、すべて必要でそれぞれの想いがあってのことだということ、そして何より今の私はそれに対してネガティブな思いはないということを前提に、読んでいただけたら嬉しいです。

おいたち

幼稚園から中学校までずっと同じメンバーで育つような自然溢れるのどかな田舎に生まれ、両親だけでなく父方の祖父母も教師という家庭で育ちました。
なんでもできちゃう父(家族の前ではおちゃめ)、少々イライラしてる時間多めな母(実は情に厚い裏表のない人)、なかなかに意思のはっきりとした次女(2歳差)と、歳の離れたマイペースな三女(6歳差)、そして私。特に次女とは2歳差だったのでほぼ一緒に育ったようなもので、子どもの頃の記憶には、ほぼ次女がいます。
私が高校生になる直前までは祖父母と同居していて、共働きの両親に変わって祖父母が私たち姉妹のお世話をしてくれていました。

祖父母とわたし

祖父母はとても厳しく、特に子どもの頃の祖母の印象は、ほとんど叱られたことばかり。とにかく叱られたくなくてやってしまったことを隠したり、本音を言えずにどう言ったら叱られないか顔色を伺うことが当たり前になっていました。

こういうと、私がとんでもなく言うことをきかないヤンチャな子どもだったように思うかと思いますが(笑)、子どもがついするような行動でも、危ない!それはしてはダメ!それはいけないこと!と、とにかくこうすることが正しい!ばかりの自由度の少ない価値観の中で叱られてきました。

ジェネレーションギャップというのもあるかもしれませんが、祖父母が育ててくれたことでその当時の周りの子育ての価値観と合わないこともしばしば。もちろん家庭によってそれぞれで外から見てわからないこともたくさんあるかと思いますが、友達の家庭で許されていることがうちでは許されなくて、一緒に楽しめないような場面が多々ありました。

今思えば、共働きの両親に変わって私たちをしっかり育てないとという思いがあったのだと理解できますが、”こうするべき”という祖母の基準から外れるととても叱られたし、宿題をしないと遊びに行かせてもらえないので、放課後に友達と遊びたくても自分だけ出遅れたり、時には遊びにすらいけないような、本当に小さい枠の中の正しいに押し込まれているような感覚でした。
厳しさも愛情の裏返しで大事にしていることに変わりないのですが、子どもの私ではそれを愛情の一つとしてストレートに受け取るのは難しかったです。

だけどそれ以上に厳しいのが祖父で、その祖父が怒る前に祖母が先回りして叱っていたのだと大人になってから聞かされ、そんなん知らんって…と思った記憶があります。笑
友達のおじいちゃんやおばあちゃんが優しすぎて、どうしてうちはこんなに厳しいんだと何回思ったことか笑

でも、両親が仕事で家にいない代わりに必ずどちらかが家にいて、学校から帰ってくる私たち姉妹を迎えてくれたので一人になることはなかったし、美味しいご飯を作ってくれて(私のおふくろの味は祖母の味と言って良いくらい、料理上手な祖母なのです。)家庭という温かさを自然と与え続けてくれていたのも祖父母でした。

教師という職業柄なのか、よく人を見ているし、厳しいところがある一方で、私たちに対して絶対的な愛があって、何よりも家族が一番という考えを当たり前のように持っていました。
中学の時に友だちと口論になって半泣きで荷物も持たず勝手に学校から帰ってきた時も、高校の時の部活の人間関係に悩んでいた時も、寄り添って話を聞いてくれたのはいつも祖母でした。
思えば、幼少期は叱られた記憶の方が多いですが、少し成長していろんな話をするようになってからは私にとっての絶対的な味方になってくれていた気がします。

姉妹編へ続く✨

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