自分の選択は自分が責任を取る。
自分で選択したことを全て自分が責任を取る。
それは日常的にする小さい選択から、一生に一度の大きな選択でも一緒。
選択の大小は関係ない。
急に責任とか、選択とか、人生とか言い出して、なんなのかと言う感じですがすみません。
これを選んだらこうで、あれを選んだらああで、と今後のことを考えていた時に自分ではなく、どの選択にも誰かの存在をちらつかせていることに気がつきました。
これを選んだらあの人に迷惑がかかるかな
あれを選んだらあの人になんて思われるだろう
こんなふうにどの選択肢にもその先に誰かの存在があるかのように考えていました。
普段の日常で、例えばご飯屋さんに行った時に何を頼もうかと考えている時はこんなことを起こりません。
チキンのかあさんに定食か、鯖の味噌煮定食か。と悩んでいる先に誰かの存在なんか考えたこともありません。
おそらく理由はその選択は些細な出来事だからです。
些細な選択のどちらを選ぼうが、それは自分の責任の範疇でなんとかできると思っているからです。
チキンのかあさんに定食でも、鯖の味噌煮定食でも、どっちをえらんでも別に痛くも痒くもありません。
何かあるとしても
「やっぱりあっちにしておけばよかった。」
という秒で忘れる程度の些細な後悔くらいです。
でも、これが会社を辞めるとか、転職をするとか、諦めきれない夢を追いかけるとかその選択が大きくなればなるほど、その選択の向こうに誰かの存在を感じてしまいます。
会社を辞めたら親がどう思うか、転職をすると言ったら同僚になんと言われるか、夢を追うと言ったら周りはどんな反応をするか。
そん感じで、どの選択にも勝手に誰かの存在を作り出しているような気がします。
大きな選択の時ほどリスクも大きくなる。
正直大きな選択をすることはとても怖い、どうなるかわからないから。
その不安や恐怖が”誰か”という形で選択の向こうに現れていると俺は思う。
で、言う。
「今この選択をしたら、〇〇さんに迷惑がかかるからやめよう。」
「ゆめを追いかけるなんて、みんなに笑われるからやめよう。」
いるはずのない〇〇さんのせいにして選択をしないことを選択してしまう。
本当は誰のせいでもなくて、自分に勇気がないだけなのに。
自分がする選択は自分の責任。
誰かのせいにするのはそろそろ辞めるか。
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