1970's TOKYO
水道橋スイング
東京の水道橋には小さな出版社が多い。そんな出版社の一つで仕事をすることになり、会社を訪ねると、机の上にいくつも電話がある。それぞれの電話には紙が貼ってあり、週間なになにとか漫画なになにとか書いてある、社員は電話が鳴ると、その紙に書いてある誌名を言っていた。こちらの電話が鳴れば、ハイ週間なになに、あちらの電話が鳴れば、ハイ漫画なになに、と言った塩梅だ。そんなセコイ会社の打ち合わせの後の、楽しみが、近くにあるジャズ喫茶スイングに行く事、海千山千の出版社社長のネチネチした喋りに、ヘキヘキした後は、軽いノリのジャズが心地いい。
ジャズ喫茶にも派がある、大きく分けて三つ、スイング派、水道橋スイングがこれ、モダン派、全国にあるジャズ喫茶の殆んどがこれ、そしてフリー派、仙台のアバン、阿佐ヶ谷の毘沙門などがこれ。つまりスイング系で全国的に知られているのは、ここだけ。フリー系で二店、後は全国数多あるジャズの全部がモダン系になる。
1930年代から50年代にかけて、アメリカには400から500のビッグバンドがあったそうだ、彼らがアメリカ中のダンンスホールをグルグル、スイングでかかるレコードはそんな古き良き時代のものが多かった。レンガがアクセントの明るく洒落た店内、上品なマスターと若い男の人がいた。
明るく少し物悲しいスイングジャズ、村上春樹がこの店でアルバイトをし、同じアルバイトの奥さんと知り合ったそう
だけど、だから、意味がなければスイングもない、という本を出したのかな。