ソフトボールと私
この町は私が育った場所によく似ている。
職場までの通勤の途中に工業高校がある。私も工業高校出身なので作業着を着た学生がいる光景が懐かしい。
ちょうど道路沿いに、手前から弓道場、野球場、テニスコートが並んでいる。私は高校で弓道、中学でソフトテニスをしていた。どちらも見慣れた景色であの頃の時間が戻ってくるようだった。
野球場を見ると、いつも思い出す。
私の2つ年下の弟は地区でソフトボールをしていた。父に私にもソフトボールをさせて欲しいとお願いしたことがあった。しかし何度お願いしても、「女がするスポーツじゃない」と言われ断られた。ソフトボールチームに入ることを諦めきれない私にチャンスがやってくる。
弟のソフトボールのチームで怪我人が続出し、Bチームの助っ人としてキャッチボールも素振りもしたことのない私が試合に出場できることになったのだ。「立ってるだけでいい」父にそう言われ、守備なんてやったこともない私は初めてつけるグローブに感動し、言われた通りただただ立ってボールを見ていた。
その後、私に打席が回ってきたときに事件は起こった。初めてつけるヘルメットは大きくて重たいし、前がよく見えなかった。そんな状況で1球目が飛んできた。ヘルメットに重みを感じた。デッドボールが私の初打席だった。痛くはなかったが怖さと恥ずかしさで泣いた。1塁に向かう。その後、次の打者がボールを打つ。「2塁に走れ!」父の声が聞こえる。しかし打ち上げられたボールはキャッチされアウト。私も1塁に戻らずタッチされアウト。意味がわからない私はまた泣いた。そこからの記憶はない。
その後も父に中学生になったら野球部に入部させてほしいとお願いしたことがあったが、怪我をするからダメ。女の子がするスポーツじゃないからダメ。テニスとか女の子らしい部活をしたらと言われた。当時の私は、女優の上戸彩が好きで雑誌を集めたりCDを集めていた。エースをねらえというドラマの主演を上戸彩が務め、それがきっかけでテニスに憧れ、ソフトテニス部に入部することとなる。
今でも家族でこの話をたまにすることがある。母は、「今頃、女子野球選手になれてたかもしれないのにねー」と笑いながら言うが、父はどうやら女子野球部になると甲子園がないのも断っていた理由らしい。甲子園が好きな父らしい理由だ。でも、その頃の私はそれでもソフトボールをさせてほしかった。怪我してもいいから。甲子園行けなくてもいいから。
しかし今となっては、ソフトボールをしなくて良かったのかもしれないと思う点がひとつだけある。バッティングにはとても自信があるが、私は自分でも信じられないほどのノーコンなのである。
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