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功には禄を、能には職を  :徳川家康
功には禄を、徳には地位を :西郷隆盛

上記2つの原典とされるのが、中国の歴史書「書経」(しょきょう)。複雑な経路を辿っており成立年には諸説あるものの一説には紀元前659年(Wikipediaより)、ざっと3000年前。
そこで現代風に表現し、かつ人事の視点で上記の格言を解釈すると

・「功には禄」:発揮・実現した成果・業績→賞与で報いるべし。

・「能には職」:職務遂行能力・コンピテンシー(高業績者の行動特性)や人格→地位・役職・役割で報いるべし。(「徳には地位を」も同様)

「部長ポジションの賞与は300万円」のように、成果・業績に応じて支払われる賞与を、事前に金額を決めてしまうことはその性質にそぐわない。必然的に地位・役職へ紐付かない。「部長ポジションの年収は1500万円(そしてその大部分は月額給与)」のように月額給与に紐付くことが殆ど。そのため、「地位・役職・役割には(変動が比較的少ない前提の)月額給与で報いるべし」となる。
つまり「職務遂行能力・コンピテンシー・人格には地位・役職・役割と月額給与で報いるべし」とも表現できる。

日系大企業などでは「標準賞与は6ヶ月=年収の1/3が賞与」としていることもある。しかしこの賞与の変動幅は小さい場合が殆ど。つまり賞与・変動給というよりも月額給与・固定給としての性質の方がはるかに強い。

上記を踏まえると、職能資格制度や役割給・職務給、成果給・成果主義、そして最近流行りのジョブ型・メンバーシップ型と、一見異なる様々な名称の人事制度が、実は同じ原則のそれぞれ一部分に焦点を当てて強調しているだけに過ぎないと分かる。社員や採用応募者への訴求等を目的として、「流行の人事制度を弊社は理解して実装しています」のブランディングは一概に否定するものではない。人事制度、ひいては人事全般に注力していそうに見える。このように「制度の名称と細部だけ変更することで社内外を納得させたいのだろうな」、と伺わせる事例はままある。

しかし、原則への理解が浅いまま、流行に左右されるままでは、自社の経営や社員への貢献は覚束ない。そして何より、なんとも虚しい。もちろん、ビジネスモデルやタイミング等から、”振り切った”人事制度が適する場合もある。良し悪しは別として、成約実績に応じた報酬割合が極端に大きな営業職等が典型例だ。しかしそういった場合であっても、原則や本質を知らずに短絡的に設計しては部分最適にしかならない。原則や本質を踏まえた全体最適こそ目指すべき姿である。

400年前(或いは3000年前)から変わらない評価制度・処遇制度・等級制度・人材登用等の原則。
「古代中国の知識人や徳川家康の慧眼」が奇しくも、
「人事の原則の普遍性」を改めて認識させてくれる。

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