【映画鑑賞】変わる勇気と変えたくない日常【メイズ・ランナー】
『メイズランナー』は、ずっと気になっていたものの、
なかなか手を出せずにいた映画だった。何となく観る機会を逃していた。でも実際に観始めてみたら、あっという間に引き込まれてしまった。すぐに 2作目も観たいと思うほど、物語の展開やキャラクターたちの葛藤が心に刺さった。
迷宮の中で暮らす少年たち。
彼らはそこである程度の秩序と平和を保ちながら生活している。謎めいた閉鎖空間、出口の見えない迷路のような場所で、彼らは迷宮を脱出するのか、それとも現状維持で平和な日常を続けるのかという究極の選択を迫られる。
その中で一人の青年が動き出す。
好奇心旺盛で、今の生活に満足できない彼は、迷宮からの脱出を試みる。彼のその行動が、皆の平和を脅かし、秩序を崩していく。彼が動いたことで、他の人々は強制的に戦わざるを得ない状況に追い込まれてしまうのだ。今までの日常が守られていた人々からすれば、彼の行動は「余計なこと」でしかない。彼らは、どうしてわざわざ問題を引き起こすのかと憤慨し、混乱していく。彼の好奇心が秩序を壊し、結果的に彼らは戦うしかなくなる。
この状況を見ていると、
私自身、どちら側の立場にも感情移入してしまう。現状を変えることの難しさと、そのリスク。確かに、今の状態に満足している人からすれば、「何もかも変えようとするな」と思うのは自然だろう。私自身も、現状がそこまでひどくなければ、無理に変えようとは思わないタイプだ。もちろん、現実が理想通りではないことは十分にわかっているし、もっと良くなるかもしれない未来も考えられる。けれど、変化には必ずリスクが伴う。予測できない結果を前にした時、そこで本当に変わるべきかどうか、慎重になる気持ちはよくわかる。
もし、何か大きな変化を求めて一歩踏み出したとして、
その先が良い結果になる保証はない。むしろ、取り返しのつかない事態に陥ってしまうことだってある。そのリスクを考えると、今の平穏な日常をあえて壊すことに対する恐れが先立つ。結局のところ、何もかもが現状維持でいいとまでは思わないけれど、大きなリスクを背負ってまで自ら変化を求める勇気はなかなか持てないのだ。
でも、主人公の青年のように、
現状に満足せず、未知の世界に踏み込む人を見ると、やっぱりどこか羨ましく感じる。彼はその場の秩序やルールに従うのではなく、自分の力で世界を変えようとする。それは、たとえ周りの反感を買っても、自分の好奇心や意志を貫く勇気だ。その勇気が時には尊敬され、時には批判されることもあるだろうけど、結果的に彼は自分の選んだ道を進んでいく。それが、周囲の期待とは違っていても、彼の生き方を示している。
人生には必ず変わる瞬間が訪れる。
それが、自分の選択で訪れるのか、偶然巻き込まれるのかは別として、どこかで必ず岐路に立たされることになる。私の場合は、どちらかと言えば、そうした変化に「巻き込まれる」方だろう。自分から進んで変わろうとするタイプではないし、どちらかといえば、変わることに慎重な性格だ。でも、だからこそ変わる勇気を持つ人はかっこいいと思うし、そうした人を尊敬してやまない。自分がその立場になった時、同じように強くありたいとは思うけれど、実際のところ、その勇気がどこまで出せるかはわからない。
もしも私が生まれ変わることができるなら、
もっと冒険心に溢れた自分になりたい。見た目も戦闘力も高く、何でもできる強い人間に。『メイズランナー』のような極限状況で、自分の力で困難を乗り越え、他人を助けながら進んでいけるような人物に憧れる。現状を変えることを恐れず、新しい世界に飛び込んでいける強さがあれば、きっと今とは違う人生が広がっているのだろう。
映画を観ながらそんなことを考えた。
フィクションの世界では、主人公たちは迷わずに冒険に飛び込んでいく。でも、現実の私は、今の生活を守りつつ、時に少しずつ変わっていく道を選ぶのかもしれない。大きな一歩ではなくても、小さな変化を積み重ねながら、自分なりの人生を歩んでいく。それが、私の生き方なのかもしれない。
地球規模の災害に立ち向かうために選抜された青年たち。
その危機に立ち向かうために、あんなにも大きく、巨大で、危険な施設を建設したのはすごいなと圧倒された。やっと出口を見つけたと安堵したのも束の間、それは新しい試練へのスタートだったなんて。『メイズ・ランナー』面白いじゃない。
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