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【メイズ・ランナー2】若者の力、未来への希望

『メイズ・ランナー 2』をさっそく鑑賞した。
前作以上にスリリングで、今回の舞台は迷宮だけではなく、廃墟と化した地球そのもの。横方向の移動にとどまらず、高層ビルをも駆け抜ける、まさに縦横無尽なアクションが展開され、さらに迫力が増していた。荒廃した都市の風景や、ウイルスに感染し、免疫を持たない人々の悲惨な姿は、迷宮という閉じられた空間よりも、より一層厳しいサバイバルの世界を強調していた。

1作目では、
主人公の青年はただの好奇心旺盛な少年に見えていた。彼の衝動的な行動が物語の引き金となり、他の登場人物たちを巻き込みながら進む姿は、どこか無謀にも映っていた。しかし、今作では彼の内面がより深く掘り下げられ、単なる好奇心ではなく、強い仲間意識や正義感が彼を突き動かしていることが明らかになった。実験よりも仲間の命を大切にし、共に生き延びることを最優先に考える彼の姿は、まさに義に篤く情に深い人物として描かれている。

彼の行動は衝動的に見えるけれど、
どこか計算された部分も感じられる。彼が周囲の人々を巻き込み、自然と皆を導いていく姿には、やはりリーダーとしての素質がある。自分だけが生き延びるのではなく、いかにして仲間も一緒に助けられるかを考える。その姿勢が、彼に対する信頼と人望を集めているのだろうと思う。結局のところ、リーダーとは誰かを支配するのではなく、共に生き延びるための道筋を示す存在なのだと感じた。

物語が進むにつれて、
二つの選択肢が浮かび上がってくる。一つは、身近な仲間の命を守ること。もう一つは、人類全体の命を救うために、少数の若者の命を犠牲にすること。私は個人的に、若者の命の方が未来にとって重要だと感じる。彼らの方がまだ人生が長く、可能性に満ちている。大人と若者のどちらかを選ばなければならないとしたら、未来を担う若者の命を守ることが、社会全体にとってより大切な選択だと思う。未来を創るのは、常に若者の力だからだ。

もし、未来の種である若者を犠牲にして、
自分たち大人が生き延びる選択をするのであれば、それはもはや希望のない世界だ。次世代に託すことこそが、未来への希望を繋ぐ唯一の方法だと感じる。だからこそ、同郷の女性が物語の中でとった行動には、裏切りを感じても仕方がない。彼女には彼女なりの信念や理由があるのは理解できるが、物語を支配している大人たちの事情に加担し、若者を犠牲にすることが許されるとは思えない。そこに「共存」の意識が感じられなければ、若者はただの使い捨ての駒としてしか見えない。

物語の中で描かれているのは、
単に生き延びるためのサバイバルではなく、若者と大人たちとの対立、そして搾取の構造だと感じる。大人たちは自分たちの利益や安全のために、若者たちを犠牲にする。これを「若者と搾取の対立の物語」と考えるのは、やや過剰かもしれないが、そうした要素が潜んでいるのは確かだろう。未来を守るためには、若者の力が必要だ。もし彼らが犠牲になるような選択をしてしまえば、未来そのものが失われてしまう。

『メイズ・ランナー 2』は、
単なるアクション映画以上に、こうした深いテーマを描いているように感じた。個々の選択や行動が、未来にどう影響するのか。若者たちの命と希望を守るために、私たちはどんな選択をするべきか。そうした問いを投げかけられるような作品だった。

未来は、常に若者の手に委ねられている。
彼らを守り、育てることが、私たち大人の責任だ。もしも、彼らを犠牲にして生き延びることしか選択肢がないなら、それはもはや未来ではなく、ただの延命に過ぎないのかもしれない。だからこそ、この物語が示すように、若者の力を信じ、彼らが未来を切り開くためのサポートをすることが何よりも大切なのだろう。

Maze Runner: The Scorch Trials / 2015


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