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本当の意味で豊かなもの

ー『隔離の記憶』を読んで ー

多くの人々の人生を、自由を、そして子どもたちの命を奪った、国の「ハンセン病」隔離政策は、胸が締め付けられるような犠牲と悲しみを生んだ一方、それが無ければ気づけなかった大切なことや、誰も見ることができなかった世界観を生み出すものとなった。

ハンセン病がメディアで取り上げられる時、
強制隔離、堕胎、断種、偽名、断絶、人権侵害、偏見といった、
喜怒哀楽の「怒」と「哀」に焦点があてられ、
「喜」と「楽」の部分が伝えられない傾向がある。
常に不安定な向かい風の中で、いのちを懸命に輝かせて生きている人々の姿は、世間一般にはあまり知られていないのである。

事実として、いままでの生活や家族が恋しくなってしまうことを理由に、その過去を自分の中から消そうと、社会とのつながりを絶つことを試みる患者もいた。
しかし、
施設の人たちの宿泊を拒否したことをホテルが批判された際に、閉鎖されたホテルの従業員を助けようとしたのは、その一度絶望をした人々だった。彼らは優しく、強く、そしてしぶとく、勇敢なばかりだった。
死にたくなっても当たり前なのに、それぞれ生き甲斐や喜びをつかみ取っていく「いのち」との向き合い方は、人として、ぜひ見習いたい生き方である。

彼らはいのちの願いを聴き続けるために、語り、表現し、前進し続けた。どうにか腑に落ちるところまで辿り着こうともがき続け、理解しようとし続けたのである。そしてこの「理解」は、共感や実感が湧かなくても可能なものであることを、彼らは人生をかけて証明してくれた。
相手の苦しみを自分のことのように身をもって感じることは難しいが、その人が何に苦しんでいるのか、その苦しみがどんなふうに生じたものなのか、その理屈や道筋をつけることはできるのではないだろうか。

今の世の中は、地位や経験値から他人に評価されてしまうことが多々ある。また、誰かをそのように差別し、壁をつくってしまう心が、実際自分のなかにないわけではない。
しかし、どんなにイイ仕事に就いても、どんなにお金を持っていても、どんなに高い功績を残したとしても、人が死ぬ際に持っていけるものは「いのち」を生きたことによって、ココロで感じたものだけだと考える。

そして死後にこの世に残せるものも同様、人のココロになにを残したかである。
ココロにあるものは、本当の意味で豊かなものであり、力を与え、希望へと導いてくれるものだろう。

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