リンディーララ
暗い部屋に、テーブルの上に置いた携帯の画面が光る。
帰宅してシャワーを浴びようかと、ふと目を移した時だった。
『ごめんね。ちょっと今、大丈夫?』
見慣れた名前の宛名から一つのメッセージが届く。大丈夫と文字を打つ前に急いで上着を羽織り、車の鍵を手に取る。大丈夫と返事をしてすぐ電話をかけた。
「今どこ」
夜の街は、今の僕の心には合わないくらい光り輝いている。ネオンが反射して、車内を照らす。君しか乗せていない助手席が、より目立つようだ。
時刻は夜の10時過ぎ。君からメッセージが来る時は、決まってこの時間だ。1日の中で何か嫌なことや悲しいことがあった時に送られてくる。大学の講義が一緒で、共通の友達が多かったことから仲良くなり、そこからもう少しで10年近くの付き合いになる。仲のいい男友達という関係に、都合がいいように使われているのかもしれないけれど、そんな都合の良さにも少し喜んでいる自分がいるのも確かだった。
吐く息が白い。社内の暖房を付けて、信号待ちをしている間にプレイリストを探る。洋楽メインの中に、先日君が好きと言っていたアーティストが一番上にくる。邦楽で最近テレビで話題のアーティストのバンド。
明るい青春ソングや踊りが話題になるようなキャッチーな曲も多い中、失恋や片思いを歌った切ない曲もあって、こんな曲もあるんだと最近聞いたばかりだった。
君がいつも楽しそうに口ずさむから、てっきり陽気なバンドだと思っていたのに。
シャッフルで音楽を再生する。君が分からないくらいに紛れ込ませて。
車を飛ばし、15分程度で目的地に着く。道がだんだんと狭くなっていき、車をゆっくりと進めていく。飲食店が立ち並ぶ、排気口の煙とオレンジ色の街灯が楽しそうに人々を包んでいた。酔っ払いの会社の飲み会帰りの集団が横切ると、テラス席のある海外風のおしゃれなバルが見える。その陰で君はしゃがみ込んでいた。
車を傍に止め、君に駆け寄ると君はいつもの明るい笑顔で顔を上げた。泣き腫らして震えた弱い声で僕の名前を呼んだ。
君を助手席に乗せ、あてもなく車を発進させる。車内に柑橘の香りが広がり、先ほどの寒さが嘘のように感じられなくなる。アイコスを鞄から取り出すのを見て、そっと止めた。
「車内禁煙だから。」
「一本だけ。だめ?」
「今日はごめん。止めてほしい」
不貞腐れる君を見て、ほっと胸を撫で下ろす。君が彼氏の影響で最近吸い始めたのを僕は知っている。そんな姿今は一ミリも見たくなかった。少なくとも、今この車内では。
君は太陽のようでいつも明るく笑っている人だった。陽気で、楽観的で。日の光を沢山吸収して育ったひまわりのような笑顔を振りまいていた。そんな君の明るさが僕をも照らしてくれていた。幸せになってほしいと心から願えるくらい、君がどこかで笑っていてくれるだけで良かったのに。
今隣にいる君は、明らかに不格好なシックなワンピースを着て、彼氏のために伸ばした髪をいじっている。今日も喧嘩でもしたのか、表情は暗い。
君は今の彼氏と付き合ってからだんだんと笑わなくなっていって、会うたびに泣いていることが増えていった。こんなふうに夜遅くに呼び出されるのも増えていった。
「ごめんね、こんな時間にさ。みっともないよね」
君が話した時君の薬指についている指輪が光る。つい反射で目を背けてしまった。
「来週結婚するのにね、本当に馬鹿みたい。こんな時まで喧嘩するなんて」
また静かに泣き始めてしまった。ゆっくりとどこかに正解を探すように、言葉を紡ぎながら君は話していく。聞いていると、彼氏が会社の女の子と二人で飲みにいき、朝まで帰って来なかったのを責めたら怒鳴って帰ってしまったらしい。
自分がどうすれば良かったのかと、無理に笑いながら話していた。聞いているだけで苦しくなってくる。そんな奴やめなよと、口から出そうになってやめた。
ハンカチを差し出すと君は笑って受け取った。街の灯りとは裏腹に、車内に君の涙だけが光っている。
「ねえ、ゲームセンター行こうか。」
学生の時に戻ったみたいだった。ずっと楽しそうに遊んでいる君を見て時が止まればいいのにと思った。
懐かしいゲームも、レースゲームも楽しくて、あっという間に時間が過ぎていく。喧騒に呑まれないように、いつもよりも大きな声で話す。君の声しか聞こえなくて、この世界には二人しかいないような気がしていた。
クレーンゲームで頑張って取ったぬいぐるみを君は誇らしそうに抱えて、お店を出る。
君にさっきまでの暗い顔が消えていて、安心したと同時に悲しさで足がすくむ。
一寸先は闇だ。
車内に乗り込むと、日付が変わっていた。諦めた顔をして、君は呟いた。
「もう帰らなきゃな。」
前を向いたまま、深呼吸をしてエンジンをかける。この時自分がどんな顔をしていたのかなんて、考えたくもない。
「…家まで送っていくよ。」
君の家までの道のりは、あまりにスムーズで早く、だんだんと終わりが見えていく。見覚えのある通りに出た位から、君は徐々に俯いていった。
こんな時こそ信号に捕まりたいのに、誰も邪魔をしてくれない。息が詰まるような時間だけが過ぎていく。速度を落としているはずなのに、行きよりも早く感じてしまった。
君の家の前に着くと、君はシートベルトを外しこっちを見て笑った。
「ありがとう。楽しかった。」
「気をつけてね。」
君が頷く。その瞬間に、あのプレイリストに入っていた君の好きなバンドがかかる。切ない片思いの曲だ。君はハッとして、下を向いた。唇を強く噛んでいるのがわかる。持っているぬいぐるみが震えている。君は顔を上げて、悲しそうに笑って言った。
「君が私の彼氏だったら良かったのに。」
全部言い終える前に、君を抱きしめてキスをした。考えるよりも先に体が動いていた。
魔が差したなんて言い訳はもうできない。
街灯が君を照らす。
この先は、きっと地獄だ。