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Photo by
chiyoizmo
ムダなことこそ
成果主義の
この社会で、
僕は最近、
「ムダなことこそが
大事なのではないか」
そう、
思うようになってきた。
ふと通りかかったところに
ある店を
のぞいてみたり、
疲れたらベンチで
一休みしてみたり。
そんなささいで、
でも
ホッと一息つける瞬間が、
人間には
必要な気がする。
……以前の僕は、
そうではなかった。
仕事をしていない、
療養中の僕は、
全てを仕事や趣味と
結びつけて
考えていた。
ハンドメイドは
仕事になるだろうか、
この出来事は全て、
趣味の小説に
入れられるだろうか。
たとえば、
そんな感じである。
ムダなことは
極力やらないように
していた。
そして、
どんどん視野が
狭くなっていった。
「仕事をしていない自分は
無価値だ」
「辛いことや
ひどい人ばかりで
疲れた、死にたい」
気づけば常に
そう思うように
なっていた。
……それは、
あまりにもつらい。
息をするのも拷問である。
僕はその拷問状態の時に
精神科に行き、
薬を処方してもらった。
そのおかげか、
一時は寝たきり、ひきこもりの
状態だったのが、
今では外に出たり、
自分の身体や心に
耳を傾けられたり
できるようになってきた。
自分に素直に生きるように
なってきたと、思う。
そして、
街に出た時に、
色々なところに
ふらっと立ち寄る、
ということを始めた。
最近印象的だったのは、
池袋駅の中にある、
台の上に花瓶があり、
花がいけられている
展示物だ。
後ろの紫色の柱を
背景にしていると
気づき、
「なるほどな」と
おもった。
そして、
それに目を向けられた、
気づけた自分に驚いた。
以前の僕なら、
気づきもしなかっただろう。
そんなふうに
視野を広げたおかげで、
今、
こうしてエッセイを
書くようになった……
とも
言えるのかもしれない。
読んでくれてありがとう。