いつか海に帰る
白い船が視界を横切り、ふと意識が浮上する。その瞬間、静かな波の音も、潮風が頬にあたる優しさも、鼻を擽る磯臭さも、海の要素1つ1つを全身で感じて、ほっとするのだ。
浜辺に座り海を目の前にすると、決まってぼーっとしてしまう。雲一つもない青空は特に、空と海の色が混じりあってただの青となり、眺めているだけでどこまでもどこまでも、意識が水平線に溶け込みそうなる。自分が何者か忘れそうなほど没入してしまうが、ちゃんと意識が戻る瞬間がある。浜辺にいる人が「海だー!」なんて、大きな歓声を上げたとき。船が空と海の境界線をはっきりさせてくれたとき。
はっと現実に戻ると、全身でぶわっと海を感じる。そして海の大きさ、その複雑さに驚くと同時に、ちょっと安心もするのだ。ああ、ちゃんと現実に帰ってこれたのだなと、ほっとする。いつか思考の海に深く深く沈んで沈んで、海の底からから抜け出せなくなる気がするのに、また決まって海に訪れ、ぼーっとしてしまう。
没入してしまうほど自分は海が好きだし、海は楽しいとも思う。
生物は海から生まれたと聞く。詳しい解説や論文を見たことはないが、本当のことなんだろう。自分は海を求めてさまよう癖がある。わざわざ海の近くの旅館に泊まったり、海を見るためだけに遠出をしたり。海をただぼーっと眺めるだけで2時間使ったこともある。
かぐや姫が月から来て月へと帰ったように、いつか自分も海に帰るのかもしれない。
いや、自分は姫とかそんな高貴な器ではないのは重々承知している。でもだからって、色とりどりの水着に着替えてきゃっきゃうふふと海に向かって全力ダッシュするようなタイプでもない。青春を謳歌している若者を見て羨ましがる方である、チクショー、全力で楽しめよ!
でも海は何物にも所属しない自分が来ても、平等に楽しい波を運んでくれる。自分はその波にそっと指先や足先を海に浸けるだけでいいのだ。時たま高く波が上がって太ももまでびしょぬれになったとしても、自分はこれだけで大笑いできるほど、充分楽しい。
海は不思議だ。山を見ても「山だー!」と叫ぶことはしないが、海だと「海だー!」と叫びたくなる、そんな不思議な魅力がある。そんな浜辺で無邪気に叫び遊ぶ人の中に、自分と同じようにじっと動かない人を見かける。そしてじっと動かない人を現実に引き戻してくれる、船を操る人もいる。
皆、海でやっていることは違う。真逆だ、正反対だ。でもただ1つの共通点として、皆の頭の中は「海は楽しい」という思い出が作られているだろう。
いつか海に帰る日のために、海を外側から楽しんでいるのかもしれない。
今度は海の上から海を楽しもうかと、現実に戻してくれた船を見送り、思うのだった。
熱量高めのエッセイを続々更新予定です。お仕事の依頼はなんでも受けます。なんでも書きます。ただただ誠実に書く、それだけをモットーに筆を執ります。それはそれとしてパソコンが壊れかけなので新しいパソコンが欲しい。