今日もちょっと書く

 やあやあまいど、5日坊主よこんばんは。書くとは愉しいものですね、特に現実の「私」が書いたと分からぬ場において、その条件下で私について書くということは、なんや契約違反というかルール破りというか、どこか間違った行いにも思われますがそれゆえに麻薬的な効用がこの行為にはあるようですよ。かないませんなぁ。やる気のないゼミの資料を、ああ締め切りはもう来週に迫っているので全速力でやっつけている今はその最中であるけれど、ない時間を捻出してnoteを開いてしまうのもうべなるかな、論文や記事を山のようにコピーしてはつまらんつまらんと言いつつそれでもずーっと読み続けていれば頭は退屈な研究に領され、かと思えば研究の退屈さに領され、次第になぜ研究は退屈なのか、退屈な研究をするために大学院にいる私とは一体何者? の疑問へと発酵して行くのでその問いをぐるぐる考えるうちその思考の排熱あるいは垢としてここに書く物事が発生して行くのです。それを今まさに摂取している読者よ、電脳世界のとんだバッタモンを掴まされるのは、とうに慣れっこだろうけれどお生憎様。勝手に撒き散らしているこっちとしては申し開きもできませんわ。
 院に入る前日と当日と、まるで別人のようになってしまうのは一体どういうことだろう。魔法が解けたというか憑き物が落ちたというか、まさにそんな言葉がぴったりくるほど一晩のうちに私は勤勉な――自分で言うのもなんだけど――勤勉な学生から、自堕落無気力なあほんだらに変貌してしまった。図書館の本棚とコピー機を行ったり来たりする間に様々な仮説を立案します。①いざ本物の大学院生になってみると研究の現実が身近に迫ってきてビビっているのではないか。②本当は前から研究のやる気なんてなくて、環境の変化によって無意識下の抑圧が解除されたのではないか。③大学院への進学の成功によって、私は楽しからざる過去からの分離あるいは独立を成し遂げたが、研究への意欲はその楽しからざる過去の経験の上に成り立つものであったため、院に入って過去からの分離・独立が完全に成し遂げられた瞬間、研究への意欲も同時に私から分離してしまったのではないか。
 論文なんかを読んでるからか、書き方が学者臭くていやですね。この「いや」は、緑子的には「嫌」かしら「厭」かしら、この感情を緑子に移植したら、緑子はどっちの「いや」を書くのだろう。ああ幾十の無味乾燥な論文に緊縮していても、精神はふとした隙を突いて美なるものを求めてしまう。源一郎はもう少しで読み終わります。ゼミの準備に戻らなければ。

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