見切りをつけてみた.
1週間ぶりのnote。書きたいことがなかったけど、
気が向いたので久しぶりに執筆しようと思う
先日友人と行ったカラオケで思ったことを書く
斉藤和義さんの名曲『ずっと好きだった』にある一節。
21時過ぎのカラオケルーム
友人が熱唱していたのこの曲が頭から離れない
僕はこの曲をきちんと聴いたことがなかった。友人の歌声を通して聞こえてくる歌詞の良さに気づき、何だかセンチメンタルな気分になった。そしてちょっとだけ目頭が熱くなった(どうした)
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カラオケに行った日のこと
今回noteを書こうと思う。
この問いの答えは
A.おそらくない
自らの実体験と重なるわけではない、いやカスりもしないのに僕は斉藤和義の曲に惹かれてしまった。
こんなにも人を感動させるなんて言葉の力というものは計り知れないなと。
開いた口が塞がらなかった
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僕昔からは良くも悪くも『諦めグセ』があるみたいだ
「すぐ諦めるんだよなお前~」「諦めんなよ~」と親や友人から散々言われてきた
それが顕著に現れるのはいつも恋愛だ。
しかし相手(女性側)が
・僕に全く興味がない
・または僕以外に好きな人や彼氏ができた
こういったシチュエーションに遭遇した場合
すぐに見切りをつけて関係を断ち切る傾向にあるのだ。
きっぱりと身を引く。僕という人間が一貫しているスタンスであり
いわば代名詞のようなものだ。
颯爽といなくなる姿は、まさにイナズマのようだ。
目の前から急にいなくなったとしても、僕のことを必死になって後追いしてくる女性は今までいたことはない。
だから自分の中でもあれは正しい決断だったのかなと思ったりする。
(追いかけられる恋愛してみたい)
こういった類の話を知った人から「すごくドライな人間だ」なんて言われる
「サイコパスだ!!」なんて揶揄されたこともあったな
「自分はこれ以上深入りする必要はない」という考えが脳内に現れ、
気づいたら行動に移している。
相手に未練を残して引きずる前に自分から身を引くことで、自己を傷から守る。全ては自己保身からくる行動なのだろうか。言ってしまえば傷つきたくないから早めに退散しダメージを最小限に抑えるのが僕のスタンス。
少し賢い言い方をするならば『戦略的撤退』というものだ。軍略家には向いてる。
そしてここまで生きてきて分かったのは
自分の感情より合理性を重視する性格であるということ。
(就活の時にかなり合理主義者だねと大人に言われたことがある)
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noteのおすすめ記事をたまに見ていると『付き合っていない異性に対して一途に片思いする自らの心情』をテーマに書いているクリエイターさんが意外と多いことに気づいた。
相手が「自分に対して好意がない」と分かっているのに、相手を好きで居続ける人はすごいと思う、切実に。
片思いというシチュエーション、相手を好きで居続けることは自分だったらとても耐え難いものがある。
片思いは辛いだろうし、骨が折れるような感覚を覚えるのだ。
それでも、時に人は相手を一途に思い続ける
傷つくと分かっていてもその道を進んでしまうのが人間だったりする
そしてマカロニえんぴつを聴いて大号泣する夜が待ち受けている
(恋愛とマカロニえんぴつの親和性たるや。。。)
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僕もいつか「ずっと好きだったんだぜ」と言える相手と出会うのか
今のところはそんな予感は全くといっていいほどない。
春になり何か新しい出会いがあるのかな~
淡い期待を持ちながら生活するこの頃です。
少し雑になってしまいましたが、自分なりに書いてみました。
いいねを押してくれると喜びます。
それではおやすみなさい。