千里の道より最寄りのコンビニ5/ゆがみという実家感
時間が空いてしまった。
生きている。
次の転職先がぼちぼち決まったり、その間のおぜぜ稼ぎを始めたりしていたら、最近また疲れ気味で「人生休みたい」とずっと思っている。
繰り返している。だから、治らないんである。
波はジェットコースターなのだが、最近は不安定ながらちょい鬱辺りに落ち着きそうだ。私の定位置、ちょい鬱。助かる。
加齢のためか、服薬のためか、はたまた精神的な調子が影響しているのか、ストレスがかかった時の記憶と、実際のことが、結構乖離していたりする。
あ、この流れイヤだな、と思って、その時の記憶が苦しくて返事を先延ばしにしていたのだが、薄目を開けながらもう一度メッセージを読むと、思っていたより数千倍優しかったり、イヤだと思っていた箇所が気にするレベルじゃなかったりした。
え、世の中のひと、優しいな? と、単なる自分の思い込みなのに、世界って美しかった的なことを感じてしまった。
これが認知のゆがみなのだね。自主的に発見できた。偉い。
ゆがんでいるのがデフォルトというか、いつも自分を疑ってかかっているので、これくらいがちょうどいい感はある。
親が、認知のゆがみを治そう! 薬を飲まないで大丈夫なように治療行こう! マインドフルネスめちゃくちゃいいよ! と、とにかくすすめてくる。もちろん、どれも治療にはいいことだし、効果がある人もいるし、そういうことを否定したいわけではない。
けど、なんか親のつるりとした根明な言葉に嫌悪感を持ってしまって、まだゆがんでていいかな、とクラスの紹介を断っている。
ただ、実は何てことないのに、ゆがんで見たばかりに、私の中で悪く思われる周囲の人には、ひたすらに頭を下げる。ごめんなさい。