見出し画像

C.G.ユングを詠む(012)-教会と共同体:『死者への7つの語らい(1916)』から

『死者への7つの語らい(1916)』

『死者への7つの語らい』の邦訳は、「ユング自伝2」の付録として収録されていて、これはユングの死後に発表された著作になる。

今回はその第Ⅴ章、”教会と共同体”に関する感想メモになる。

繰り返しの前置きになるが、この第Ⅴ章はユング自伝2付録Ⅴに入っていて、2世紀の初期に実在したグノーシス派の教父バシリデスが、エルサレムから帰ってきた死人たちに教えを説く形式で書かれている。

河合隼雄著「ユングの生涯」によるとこうある

「すべての私(ユング)の仕事、創造的な活動は、ほとんど50年前の1912年に始まったこれらの最初の空想や夢から生じてきている。後年になって私が成し遂げたことの全て、それらの中に含まれていた。」49%

https://amzn.asia/d/jcL4alq
河合隼雄著[ユングの生涯」

◎ユング自伝付録Ⅴ、第Ⅴ章
Ⅱ章では、私(教父バシリデス)によって、死者たちの信じている神の上位にアプラクサスと言う神が、彼らの神と悪魔の上位にあると説かれて、死者たちがパニックに陥った直後から始まった。
 
更に第Ⅲ章では、至高の神、アプラクサスについて説明がされた。
 
第Ⅳ章では、神と悪魔の説明がされた。
 
ここで登場する死者とは、ユング自伝2付録Ⅴ、I章で登場したエルサレムへ行ったが、探し求めていたものが見つからず私(教父バシリデス)の家に訪れて教えを請うてきた者たちである。各章はこちらになる。

第Ⅱ章 神は死んでいない。

第Ⅲ章 至高の神

第Ⅳ章 神と悪魔

ユングを詠む

第Ⅴ章は、こんなふうに始まる。

死者たちは嘲り、叫んだ。愚か者よ、われわれに教会と聖なる共同体について話せよ、と。
P256

ユング自伝2
https://amzn.asia/d/an6a8L9

死者たちは怒り心頭のようである。

私(ユング)は説明する。男性、女性で比喩をしている一連の文章は私には適当なものと感じられない。男性性と女性性はPowerとLoveを訳したものと言われるので、ドイツ語の原文ではPowerとLove相当の単語を使っているのか後で確かめたい。

神々の世界は、精神性と性とに明らかにされる。天のそれは精神性に、地のそれは性に顕れる。精神性は受け容れ把握する。それは女性的であり、それ故われわれはそれを「天なる母(MATER COELESTIS)と呼ぶ。

性は産ませ、つくり出す。それは男性的であり、それ故われわれはそれを地なる父「ファルロス」と呼ぶ。男性の性欲は、より血なりものであり、女性の性欲はより精神的である。男の精神はより天なるものであり、より偉大なものへと向かう。

女性の精神はより地なるものであり、より小さいものへと向かう。

男性の精神性がより小さいものに向かうとき、それは虚偽で悪魔的なものとなる。
女性の精神性がより大きなものに向かうとき、それは虚偽で悪魔的なものになる。
おのおのがそれ自身の場におもむく。

男性と女性は、各自の精神の道を別にしないとき、互いに相手にとって悪魔となる。なぜならば、「考える実存」(クレアツール)の本質は区別することにあるからである。

男性の性欲は土に向かい、女性の性欲は精神へと向かう。男性と女性は、各自の性欲を区別しないとき、互いに相手にとって悪魔になる
P256

ユング自伝2
https://amzn.asia/d/an6a8L9

この一連の文章は何を説明しているのか私には皆目わからない。何を言いたいのだろうか?

男性はより小さいものを知り、女性はより偉大なものを知ることとなろう。
P256

ユング自伝2
https://amzn.asia/d/an6a8L9

それが悪いかのように書かれているが全く不可解である。

人間は自らを精神性と性とから区別する。人間は精神性を母と呼び、それを天と地の間にすえる。人間は性をファルロスと呼び、それを自分と土との間にすえる。それは、母とファルロスは超人的なデーモンであり、神の世界の顕れであるからである。
P256~P257

それらはわれわれの存在に近接しているために、神々よりも効果をおよぼしやすい。
P257

ユング自伝2
https://amzn.asia/d/an6a8L9

この文章もユングの言いたいことがわからない。

お前たちが性と精神性とから自分を区別せず、それらを、自分を超え、自分をめぐるもとして認めたいならば、「ありのままの存在」(プレロマ)の特性としてのそれらに手に帰してしまうだろう。

精神性と性とはお前たちが所有し、把握している特性を事柄ではなく、それらがお前たちを所有し、把握しているのである。というのは、それらは力に満ちたデーモン、神々の顕視であり、従って、お前たちを超え、それ自身において存在しているものであるからである。

人は誰も精神性や性を自分のために所有しているのではなくて、精神性と性の法則のもとに存在しているのである。従って、誰もこのデーモンから逃れることはない。お前たちはそれらをデーモン、共通の仕事、危険として、また、人生がお前たちに負わせた共通の重荷として見るべきである。
P257

ユング自伝2
https://amzn.asia/d/an6a8L9

やはり、精神性と性を同レベルに扱うところに違和感があって理解が深まらない。精神性と対比するならば本能とか先天性とかにした方が良くはないだろうか。

それから、ここで出てきたデーモンとは悪魔とは違うもののようであるが、詳細な説明はない。

かくて、人生もまたお前たちにとって、共通の仕事、危険であり、神々も、先ず持って怖るべきアプラクサスも同様である。
P257

ユング自伝2
https://amzn.asia/d/an6a8L9

神々も至高の神、アプラクサスも、共通の仕事、危険ということか? この文も、意味が取れなかった。

人間は弱く、従って、共同を避けることはできない。
P257
(以降省略)

ユング自伝2
https://amzn.asia/d/an6a8L9

これは、説明されなくても違和感なし。神々も悪魔も人間に多くを強いるので、共同が必要と説明が続く。

共同には節約があり、
個には浪費がある。
共同は深く、
個は高い。
共同の正しい道は清め、保ち。
個の正しい道は清め、加える。
共同は暖かさを与え、
個は光を与える。
P257~P258

ユング自伝2
https://amzn.asia/d/an6a8L9

ここで第Ⅴ章は終わる。
これらがどう教会と関係するのか全くわからなかった。そして、共同体の必要性の説明がなぜ、精神性と性と、男性と女性の対比になるのかさっぱりわからなかった。

この後の付録Ⅴの内容。

第Ⅵ章では、性のデーモンという言葉が語られる。
第Ⅶ章では、人間について。

この2つの章は短いのでいっぺんに取り上げて、次回で、『死者への7つの語らい』の感想文は終わりたい。

<<<<投稿済の内容>>>>

⭕️C.G.ユングを詠む(001)
1.Carl Gustav Jung (1875-1961)
⭕️C.G.ユングを詠む(002)-自伝
2.ユングの自伝
3.ユングの故郷スイスについて
4.両親の影響
5.三歳で見た六十五歳まで秘密にした夢
6.ユングの子供時代の秘密
⭕️C.G.ユングを詠む(003)-少年期
7.変わり者ユング少年
8.もう一人のユング
9.牧師であるユングの父との葛藤
10.ゲーテの戯曲「ファウスト」の影響
⭕️C.G.ユングを詠む(004)-人格No1と人格No2
11.人格No1が主であり人格No2はNo1の影
12.父親の死
13. ブルグヘルツリで出会った患者
14.結婚
⭕️C.G.ユングを詠む(005)-フロイトとの交流
15.精神分析-フロイトとの交流
16.夢分析-フロイトとの交流
17.フロイトの彼の弟子たちへの評価
⭕️C.G.ユングを詠む(006)-無意識との対決
18.「お前の神話は何か」―無意識との対決
19.ユングの心象風景
⭕️C.G.ユングを詠む(007)-アニマ
20.老賢者フィレモン
21.アニマ
22.無意識との対決の収束
⭕️C.G.ユングを詠む(008)-プレロマとクレアツール:『死者への7つの語らい(1916)』から
⭕️C.G.ユングを詠む(009)-神は死んでいない:『死者への7つの語らい(1916)』から
⭕️C.G.ユングを詠む(010)-至高の神:『死者への7つの語らい(1916)』から
⭕️
C.G.ユングを詠む(011)-神と悪魔:『死者への7つの語らい(1916)』から

ユングを詠む

++++++++++++++++++++++++++++++++++
こころざし創研 代表
ティール・コーチ 小河節生
E-mail: info@teal-coach.com
URL: https://teal-coach.com/
++++++++++++++++++++++++++++++++++

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?