ユングを詠む_(023)『意識と無意識』-『タイプ論』
『意識と無意識』-『タイプ論』から
極々当たり前のことを今回は取り上げる。意識と無意識について見つめ直して考察してみたい。
『タイプ論』では、すごくわかりにくい説明になっている。我流で簡単にしてみた。
意識とは:今、あなたがこのnoteを読んでいると言う状況を感じている・認識しているそれのことです。
私の場合は、目玉の奥から、おでこの内側に心的エネルギーが集中してる感じがする所があってそこに意識があると意識している。USSエンタープライズ号のブリッジのイメージがそこにある⁉️
それで、意識の動きを創作してみる。
朝、起きてから今日の意識のスイッチが入る。枕元にあるスマホに意識がいきLINEをチェックで1日が始まる。送ったメッセが未読のままでイラっとした自分を認識したら、腹が減ったと感じる。冷蔵庫を確認に起き上がる。レンジで温めればいい肉まんが残ってるのを覚えているのでそれを朝食に食べることにする。
この先は今は思いつかんので以上でおしまい。
無意識:
次は無意識の動きを創作してみる。
起床直前には期末試験が不合格だった嫌な夢を見た。なんでこんな夢を見るのだろう?俺の無意識のやつは、俺に何を伝えたいんだ。わからん。
さてと、いつもは7:00amに会社に出発するのだが、何か早く行かないという急かされた気分になる。で、6:45amに家を出た。なんでもいつも乗る後の電車は故障して半日不通になってた。ラッキー!おまけになんとかは三文の徳ではないが会社について一服すると、昨日上司の無茶振り仕事の解決策が脳裏に降りてきた。
無意識が何か直観したって感じ。
ここから先はすぐには思いつかないので、以下省略。
こんな程度の説明でいいと思うのだが。最もこれはアカデミックな正確性を欠く全くの私見。
戯言の文章はここまで。
1. イントロ
難しく考えると“意識”に対する認識とか定義とか分野や研究者によって多様だか、ここでは、ユングが『タイプ論』で意識をどう説明したかを紹介していく。
2. 意識
『タイプ論』の定義を関連用語とまとめて掲載する。
2.1 意識 : bewusstsein(ドイツ語): consciousness
こころ(ゼーレ)と心(プシケー)をユングは使い分けている。これは次回以降に紹介する。
2.2 自我:Ich(ドイツ語)、ego
2.3 無意識
2.3.1 無意識の分類{個人的無意識、集団的無意識}
2.4 コンプレックス
ユングの定義によれば、コンプレックスとは、何らかの感情によって統合されている心的内容の集まりである。情動を伴うあらゆる葛藤といったらよさそう。
アードラーはコンプレックスの劣等感の面だけを日本に広めてしまったが、ユングのいうコンプレックスはもっと範囲が広い概念である。
3. 私的な解釈
2.項の説明を読んでもさっぱりわからないと思うので、私が読んで抱いたイメージを私的な解釈として載せる。
3.1心的モデル
“こころの羅針盤“を使って可視化する。
下の図のモデルは、
・優越機能(主機能):外向的感覚型(ES)
・第一補助機能:内向的思考型(T)
・第二補助機能(第三機能):外向的感情型(F)
・劣等機能:内向的直感型(N)
赤い大文字アルファベットが外向的。
青い大文字アルファベットが内向的を表す。
MBTI®︎でいうところのESTPをモデルにして話を進める。ただ、ESTPの説明はここではしない。(早い話、どんなタイプでもよかった。)
3.2個人の心の領域
“こころの羅針盤”の中で手書きで赤く囲ったところが“個人の心の領域“と思う。これは”自己“の領域でもあると思う
3.3 意識のスキャンエリア
意識のある場所、“私の場合は、目玉の奥から、おでこの内側に心的エネルギーが集中してる感じがする所”。
下の図では意識を目と耳のアイコンにした。スキャンエリア、つまり見たり感じたり考えたり判断できるところは図のブルーのエリア。
”自我”の範囲も同じではないかと思う。
3.4 個人的無意識
ユングが『タイプ論』の定義の中で“個人的無意識”といっているところはここにあるイメージを持つ。
深いところに沈んでいる記憶とか思考、直感、感情などはなかなか浮上して来ないというところだろう。意識は自ら無意識の領域に入っていけないような感覚を私は持っている。
3.5 集団的無意識
ユングが『タイプ論』の定義の中で“集団的無意識”といっているところは”こころの羅針盤”で示すと、下図のようなイメージになる。
この“集団的無意識”はどのように実装されているのかわからない。
『タイプ論』の書き方だと生まれてきた時についてきたように読める。スタンドアロンの端末にその時の最新のOSを実装したイメージで、バージョンアップされないようなイメージだろうか?
私はクラウドソースにアクセスできるようなイメージの“集団的無意識”があってほしい。
“集団的無意識”というのは、民族とか種族の共通の心的イメージが共有されるデータベースのようなもの。神話とか逸話、曼荼羅のようなイメージを個人個人が生まれながらに持っているものがあるとユングは気がついて発見された概念。
もし、クラウドソースのように逐次情報がアップデートされているとしたら、それは精神レベルで民族とか種族とのつながりができるということで、プラトンがいうように人間として生きていることが“魂の牢獄“ではなくなるということではないだろうか?
もう少し具体的なイメージとして私が持っているのは、1990年代に7シーズンにわたって放送されたスタートレックのスピンオフ作品ディープスペース9に出てくる流動体生命の“つながりの海”である。
流動体生命とは人間の姿は仮のもので、生命エネルギーが切れてくるとスライムになってしまうという生物。
スライム状態になると仲間と溶け合うように交わることができて心的情報とエネルギーを交換・共有することができる。スライムのままで“つながりの海”につかれば種族全体の心的情報・意識・無意識を共有できるという。個体は決して一人ぼっちではない。
人類もこんな“つながり”が持てないかと思う。
(いや、そんな他人の心など見たくないという人もいるだろうが。)
ユングの『赤の書』の絵の中には集団的無意識を描いたものがあるかもしれないがまだ発見で来ていない。彼はどんな無意識の世界を見ていたのか?
これらの探訪だ。
今回はここまで。
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参考文献[1] MBTIタイプ入門(第6版)https://amzn.asia/d/gYIF9uL
参考文献[2] MBTIタイプ入門 タイプダイナミクスとタイプ発達編https://amzn.asia/d/70n8tG2
参考文献[3] 『タイプ論』https://amzn.asia/d/2t5symt
・補論3: スイス精神医師会、チューリッヒ、1928年において行われた講演。『現代における心の問題』p101
・補論4: 『南ドイツ月報』1936年2月号に初出。
参考文献[4] ユングのタイプ論に関する研究: 「こころの羅針盤」としての現代的意義 (箱庭療法学モノグラフ第21巻) https://amzn.asia/d/7aCkmyB
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こころざし創研 代表
ティール・コーチ 小河節生
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