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やるせない…
誰であれ生きている以上、何かを頑張っていると思う。
それがどのくらいとかはどうでもいい。
比較することじゃないと思ってるから。
頑張れてないのは頑張りすぎた反動みたいなもんだし、
何ならその「頑張れてない自分」を受け入れることだって簡単じゃあない。
頑張って現実から目を背けずにいる。
諦めることだって頑張らないとできないことかもしれない。
少なくともおぢさんは頑張って夢を諦めてきたし頑張って失恋を乗り越えてきた。
死にたい気持ちを頑張って抑え込んでいた時期もある。
たぶん今も頑張ってつらさと向き合っている人がいる。
その人に「頑張れ」なんて言うつもりはない。
けど「頑張らなくてもいいよ」とも言えなくてモヤモヤする。
頑張るってのはある種の緊張感だから消えたら消えたで危ういこともあるし、
根本的にわしは何もできないからどんな言葉も空虚な気がする。
もちろん無理に言葉をかけることはしないし必要もないので悲嘆に暮れている仲間と一緒にモヤモヤしていると「頑張るとは何か」と哲学的な感じになって重苦しくなる。
もはや「頑張る」は呪言なのかもしれないとさえ思う。
頑張ることが美徳だった時代から
頑張ることが当たり前になり
頑張ることが報われない時代になっているような気がしてならない。
誰かから承認されるために頑張ってるわけじゃないはずなのにね。
自分は頑張って生きてるのに他人からバッサリ否定されたりしたら頑張れなくなるよ。
人の気持ちをへし折っておいて「もっと頑張れ」なんて言われたら心は砕け散ってしまう。
そんな心が砕けてしまった人に向けて
努力不足だの根性が足りねぇだのと心ない言葉を投げつけ蔑んで足を引っ張り合うのは不毛でしかない。
そんなのは賭博黙示録カイジの世界だけでいい。
それでもやっぱり自分が頑張ってると自覚できている時に「よく頑張ってるね」と言われたらやっぱり嬉しい。
ってことは呪言ではなく劇薬に近いのかもしれない。
取り扱い厳重注意ですね。はい。
結局のところ、言葉は受け手の気持ち次第。
例えば夢や目標に向けて突き進もうとする人には「焦らず行けよー!」とか「無理しないでね」という言葉でもいいはず。
結果が出た時に「よく頑張ったね〜お疲れさま!しっかり休んでね」くらいセットで伝えるのは大事な声がけだと思う。
けどそれまでのプロセスを知っている人だけがかけられる言葉もあるから正解ではないかもしれない。
ただ一つ言えるのは本人が何かを達成した時に使うのは構わないんじゃないかと思う。
要は日常的に、安易に使ってはいけない言葉なのかもしれない。
なんだか日本は日増しに努力や頑張りが報われない国になっている気がする。
報われないから常に誰かをバッシングしたりぶっ叩いたりするのかもしれない。
自分が赦されないから赦す心を失ってしまったり、
努力が報われないから必死アピールする人が鼻につくのかもしれない。
努力が足りないから結果が出ないわけじゃなく
ちょっと運が悪かったりタイミングの問題ということも多いはずなのにね。
努力次第でどうにかなるなら野球選手は全員、大谷さんになれるってことか?
サッカーやってるなら誰もがメッシになれるわけ?
極端かもしれないけど理屈としてはそういうことになる。
「努力不足」って言葉はそれだけ暴力的な部分があると思うから自分で使うならともかく他人には使えんよなぁ…
頑張れって言われてもさ、これ以上何を頑張ればいいのか分からない状態だってある。
というかこうやって書いているうちに自分でも何を伝えたらいいのか分からなくなってきてしまった…
結局のところ頑張ってるかどうかは自分自身で判断するなり評価することだと思う。
そりゃ他人から見たら物足りないこともある。
でもこれを読んでくれているあなたとわしは全く異なる生育歴がありライフスタイルがある。
当然、価値観も違う。
だから自分の物差しで他人を測ってもポジティブな判断に繋がらない気がしてならない。
わしの物差しが誰かのやる気や努力を奪っている可能性もある。
せめて頑張ってる人の心が報われる世の中にならないものか…
お互いに敬意を払って他人と関わることができたらな…
足の引っ張り合いや出る杭を打ち合うのはもう終わりに出来ないかなぁ…
やるせないねぇ…
そんなことを考える残暑の夜。
もうちっと楽しいこと考えたらいいのにね。
バカだねぇ…
ってなところで暗めの内容になりましたが…
それを少しでも変えるために頑張ってます。
つーことで今日はこの辺にしておこう。
最後まで読んでくれた方に心からの感謝を込めて…
アディオース!