Shrinkで過去を振り返る
双極症の当事者としてピアサポートを続けているので今回は自分のことと照らし合わせつつ感じたことを綴っておきます。
わしのnoteをずっと読んでくれている方はご存知ですがわしはⅡ型なのでこの作品に出てくる「玄さん」ほど激しい症状は出ていない。
だからといってわしの方が楽だったとかそういうわけでもない。
誰もがしんどくて苦しいのが精神疾患ということをどうか覚えておいてほしい。
それにしても双極症は厄介だなと改めて思う。
とにかく症状が分かりづらい。
めっちゃ頑張る人は社会で重宝されるし、
そこで結果を出していたらなおさら。
ドラマを見ながら躁うつを繰り返していた頃を振り返っていたけど、
いつも結果を求められる職場で無理をし続けていたことで躁転してスッカラカンになるまでアクセルを踏み込んではウツの崖から落っこちて逃げるように去っていた。
それが悔しいやら情けないやらで布団をかぶって頭を抱えながら何度も同じことを繰り返している自分を責め続けた。
周りは当たり前のようにできることができないなら自分は社会にとって必要ないんだろうとずっと思っていたから玄さんの焦りと恐怖みたいなものはとてもリアルだった。
当時は働いているか否かでしか社会との関わり方や認められ方を知らなかったというのもあるけど
(その辺は日本の社会構造もあるので誰が悪いとかそういうことじゃないと思う)
とはいえ現実問題、働いていないと経済的に困窮するからウツが抜けてくると無理をしてしまう。
無理をすると躁転してさらに事態が悪化するリスクが上がるので医者は当然、止める。
けれど医者は生活の面倒を見てくれるわけじゃないから、
「他人事だから言えるんだよ」とかそんな感情が先立っていてわしは素直に受け止めることができなかった。
キツいけど楽しかった組織や会社。
そこには二度と戻れないという現実も受け入れなきゃならないし、だとしたら治療したところで何の意味があるんだろう…とか、
本当の自分は凄まじいポンコツなのか…とか受け入れ難い現実と向き合うしんどさを久しぶりに思い出していた。
だから玄さんの泣きそうなのに苛立っていて不安を打ち消すために怒鳴ったりする姿が過去の自分に見えていた。
双極症は自己理解や自己受容から治療が始まると言われているけど、
その壁がおっそろしく高いよなぁ…と改めて思う。
何よりも自分の感情が行方不明になることがしんどかった。
元気なだけなのか軽躁なのか把握するために
刺激を避けたり布袋さんのライヴ中でも客観的に自己観察していた時期もあって正直ちょっと冷めるんだけど躁転を防ぐために必死だった時期があった。
楽しくてテンションが上がるのは当たり前なんだけど当たり前が行方不明だもんで…。
ところで玄さんと違ってわしは入院したことがないので初めて精神障害者と接したのは自力で見つけた就労移行支援事業所だった。
最初は玄さんのように精神障害者に対して偏見があったからちょっと怖かったし、
いきなり叫んだりする人とか暴れる人とかいるんだろうか…なんて勝手に想像しては打ち消しながら通所を始めた。
自分も精神障害者という自覚がない証ですね。はい。
まぁ偏見は無知から来るものが多いから仕方ないと思うけど正当化したくはない。
そんな就労移行支援事業所はものすごく静か…というより静か過ぎるくらいでやかましい職場しか経験してなかったわしは逆に落ち着かなかった(私語禁止だと勘違いしたくらい)
最初のうちは緊張もあって休憩時間でも無駄話とか私語と無縁な日々を送っていた。
2年くらい他人と会話していなかったのでビビっていたのもあるし、よく考えると雑談の仕方みたいなものを知らなかった。
そもそも話しかけていいものか分からなかったし。
そこで橋渡しになったのがタバコだった。
喫煙室はどこも独特の空間で何となぁく仲間意識も生まれるしリラックスしてるせいか雑談がしやすい。
ドラマの中で佐戸井けん太さんが演じていたような社会経験のある先輩が声をかけてくれたことで少しずつ打ち解けていくことができたし、
他の精神障害について知るきっかけにもなった。
あとは同じ双極症でも自分が安定している方なんだな…と実感することもあった。
マウンティングするわけでも安心するわけでもないけど比較することで客観的な視点を持つことができたと思う。
いやはやタバコ、偉大なり。
こういうことって調べて出てくることじゃないと思うから原作者の七海仁さんは非常に丁寧な取材をしたんだろうなぁとえらく感心してしまった。
もしかしたら精神科医や福祉職より現実を知っているかも知れないとさえ思った。
常日頃から精神障害は目に見えないから映像化がとても難しいと言われているし、
同じ障害でも症状が異なる厄介な部分もあり下手をすれば誤解を生んだり混乱を招いてしまう可能性もあると思う。
けれどそう感じなかったのは松浦慎一郎さんのお芝居だけでなく作り手の皆さんが真摯に向き合っていたからだと思う。
あの喜怒哀楽が同時に渦巻いている混合状態の苦しさが見えたし、支える家族にも目を向けていたのが個人的にとても印象的だった。
(こんな患者想いの精神科医なんていねぇよと思う人はいるだろうけど…)
ドラマの終盤で玄さんは自分にとって大事なことや大切なものを見つけられたような気がした。
わしは希望ってのはキラキラ輝く太陽じゃなくてキャンドルのような淡く不確かだけど暖かさを感じるくらい弱々しいものだと感じてきた。
だから妹の楓さんの健気さと愛情に対して素直に安心して笑えたり涙を流せるようになった玄さんの姿はとても愛おしかった。
全て失ったような日々だったけど玄さんが頑張ってきた原動力である楓さんや柔道の師匠である千川さんは変わらず味方のままだった。
だから玄さんは新しい生き方をきっと見つけられる気がした。
大事なものは変わらず残っていたんだから。
玄さんが自分と向き合いながら双極症と生きている限り楓さんも千川さんもずっと支えてくれると思う。
わしもそんな経験をしてきた。
カミさんのために頑張って無理をしたこともあったけど仕事をしていてもしていなくても味方でいてくれた。
かといって共依存になるでもなく、どこかドライな部分も持ち合わせている。
だから自分を甘やかして次に躁転したら今度こそ離れてしまうかもしれない緊張感がある。
強すぎず弱すぎずテンションがかかっていることも大事なんです、わし。
寛解は当たり前ではないし油断すればあっという間に再燃する自覚がある。
あまり追い込んでも良くないし、甘やかしてもダメ。
自分の平常や感情が行方不明になるし社会的な信用も失いかねない。
なんつーややこしい疾患なんだ!と思うけれど、
わしの場合は双極症になったことで生きることについて真剣に考えるようになったから悪いことばかりでもなかったかなと今は思う。
いつか玄さんもそんな風に思える日が来るといいな…と思いながらテレビを消した。
そして双極症という疾患の認知度がもう少し上がればいいなぁと思いながらこれを書きました。
では…また近いうちに
お互いに頑張りすぎないようにしつつ残暑を乗り越えましょう。
アディオース!
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