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はたらくとは、動き続けること



小学生の頃の夢は「人を助ける仕事」
中学生の時の夢は「お医者さん」

そして、高校生で夢が無くなった。

希望の高校に入れなかったから。

中学2年生のはじめ頃、とある病気が発症しほとんど登校することが出来なかった。
ようやく登校できるようになったのは、中学3年生の終わり頃。高校受験まで残り1ヶ月を切っていた。

いわゆる「優等生」として、今までの人生を歩んできたわたしの世界が変わってしまうのは、とても簡単だった。

今思えば、あれは親が敷いたレールだったのかもしれないけど、車輪を踏み外してしまったことが何よりも情けなくて、惨めだった。

うちの中学からは、わたしを除いてたった3人しか進学していないような(そのうち2人は不登校組)、世間一般的に「滑り止め」と揶揄されるような高校に入学した。

知るはずのなかった世界。
知りたくもなかった世界。

『別にこの学校、自らの意思で来たんですよ〜』と言わんばかりに、派手な格好をしてみたり。

何者でもない子たちと混ざっているのは、少し気が楽だった。自分が何者にもなれなかったことを思い出さずに済むから。

結局、高校を卒業してもなんとなく生きていた。自分の劣等感には見て見ぬふりをして、働いたり、辞めたりを繰り返していた。

あの頃。
未来へ一寸の疑いもせずに、信じ切っていたあの頃。わたしは医者になりたかった。

わたしのせいなのか、親の期待通りに育たなかった時期を皮切りに、家族仲もどんどん悪くなる一方だった。

そんなある日、親と喧嘩をした。
いつもだったら、言い返しもせずに、ただ黙って嵐が去るのをじっと待っているだけだった。

だけど、その日は何故か違って。

雨が降る中、原付に飛び乗って逃げ出した。
行き先は祖父母の家。
ガードレールもきちんと設置されていないような田舎道をの山2つ分超えた先の、さらに奥深いところに住んでいるのに。

普段のわたしだったら、絶対にそんな無鉄砲なことはしない。ましてや天気も最悪だ。

今考えるとあれは“呼ばれていた”のだけど、それはもう少し先の話。

いろいろな悪条件が重なり、祖父母の家に到着したのは日付が変わる前ぐらいだった。

こんな夜更けに迷惑極まりない客人の登場に、祖父母は最初こそ驚いてはいたけど、すぐに温かい湯船と飲み物を用意してくれた。

そもそも、こうして会うこと自体、かなり久しぶりだった。
真面目に学級委員長とかやっちゃうタイプだったのに、ド派手な金髪をしている変わり果てた孫を見て、何を思ったのだろう。

急な来訪の理由はとくに聞かれることもなく、他愛もない話をしていた。

「今、何をしているんだい?」

「いろいろ。パチンコ屋とか、その前は居酒屋」

「そう。頑張っているのね」

何も頑張っていない。
だってわたしは医者にはなれなかった。

「…まあ、でもすぐに辞めちゃうんだよね」

「どうして?」

「やりたくないから。でもやりたいことがあるわけでもない」

やりたいことが無いわけではなかった。
やりたいことはあったけど、やれないだけなのだ。

それまで焼酎をちびちびと舐めながら、わたしと祖母の話を黙って聞いていた祖父が、口を開いた。

「とにかく休まず、動き続けなさい」

焼酎をあおりながら、続ける。

「やりたいことが見つかった時のために、やりたくないことを続けるんだ。嫌でも働き続ける。そうしたら、良くなるかもしれないし、他にやりたいことが見つかった時にすぐに行動に移せる」

「1番ダメなのは、止まること」

そんなの年寄りの根性論じゃん、と喉まででかかった言葉を飲み込む。

祖父は偉大な人だ。
大企業の社長として立派に働いた後、政治家になっていた。
それはわたしが手に入れたくても、手に入れられなかったもの。

わたしが不満そうな顔をしていたのを察したのか、祖父はまだ続ける。

「ワシは職業差別はしとらん。働いて、動き続けているのなら、何だっていい。会社を始めて間もない頃、生活が苦しくて夜はキャバクラのボーイのアルバイトをしていた。今があるのは休まなかった。それだけだ」

その話は初耳だった。
祖父の元にはスーツをビシッと着込んだ人たちがぺこぺこと挨拶にくるのに、そんな祖父にもそういう時代があったのだ。まだ何者でもない時代。

「わたしにも出来るかな」

「誰にでも出来る。難しいことをごちゃごちゃ考えるから足が止まる。寝て起きて、ただ目の前にあることをこなす。それだけ」


それから、程なくして祖父は亡くなった。

わたしはたまたま知り合いの紹介で入ったキャバクラで、祖父の教えの通り、動き続けている日々を送っていた。

週6日の営業を1日も休まず、こつこつ頑張っていたおかげでNO.1にもなれた。

“向いていない”と泣き喚いたり、お客様のことを考えるあまり黒服と大喧嘩しながら、
『どうしたらもっと売れるのか』
『どうしたらお客さんに満足してもらえるのか』ということについて真剣に向き合って働いていた。


あの時、わたしは人生に悩んでいて、
見えない出口に向かって歩くことすら諦めていたけれど。

祖父が引き寄せてくれたんだ、と。
そうだとしたら、きっとわたしの人生全てに意味があった。

驕らずに、働き続ける。
働くって楽しい。

どんな仕事でも“はたらくこと”に真剣に向き合うこと。


余談ですが、このnoteのアイキャッチ画像は、祖父が政治家の仕事の一環で植えた紫陽花の花。

祖父が働いて、動き続けたから、今年もずっと変わらず綺麗に咲いています。

きっと来年も。



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