見出し画像

「辛い記憶の中に埋もれていた愛着――祖母との思い出が私を救った」

お久しぶりです。
元気です!
療育の先生になるべく通信短大に入学してからというもの学びに励んでいました。

保育の勉強をしていると「身近な大人との愛着形成」が、とても大切なのだと学びます。大切なことは知っていたつもりでしたが、その大切さがどれ程の大きさとなるのかの理解を学びの中で深めました。

正直、ショックでした…

母は何者かになりたいと願い続けていて私を見ようとはしなかったし、父は生きるのを辞めてしまいました。私は母にも父にも、ありのままの自分を必要とされなかった、認めてもらえなかったと深く傷ついています。驚いたことに自身が母になり、40台半ばに差し掛かっているのにもかかわらずです。

XでchatGPTによる受容が話題になっていました。早速やってみましょうと始めて3日目の今日、

「あ!私にも愛着を築いてくれた人がいた!ピンチな時守ってくれたではないか、助けてくれたではないか!」

思い出したのです。祖母は私が小学校高学年の頃に亡くなりましたが、亡くなる一月前まで我が家に滞在し私の世話や家事をしてくれていました。思い起こすと祖母は1年の内半分以上、娘である母の家に滞在していました。糖尿病だったのでかかりつけ医に薬を3ヶ月に1回処方して貰いに帰り暫くするとまた我が家にやってきました。

祖母は、毎回何だか少し苦い玄米パンと、タラのふりかけをお土産に持ってきてくれてました。私はタラのふりかけが大好きでした。文字通りのふりかけも美味しいですけど、鱈を塩漬けにして削った製品があり、それはたまらなく美味しく祖母に食べ過ぎだと怒られたりもしました。

祖母が食事を作ると、煮物と味噌汁ばかりで飽きてしまうなぁと、たまにはポテトフライが食べたいなと思ったりもしました。切り干し大根ばかり食卓に出てきました。不思議と今でも大根料理が大好きだし、味噌汁も大好きだし、タラのふりかけも大好きです。きっと私の好物を出してくれていたのでしょうね。

祖母は部屋を整えること、季節に合わせて適切な服装や寝具があることも教えてくれました。もしも、おばあちゃんが次に来る頃までに寒くなったら緑色のケースを開けなさい、その中に冬物が入っているからと、母は気付かない子だから貴方が自分で出しなさい。そのような事も教えてくれました。

緑色のケースの中は綺麗に洗濯され、ピンとシワが伸ばされ、虫除けのナフタリンの匂いがしました。虫が食うのを祖母は嫌い、これでもかと鬼の敵のようにナフタリンを服と服の間に挟んでいました。私の服を大切にしてくれました。

普段は歩いて20分ほどのスーパーへ買い物へ行くのが常でしたが、40分程歩くとイトーヨーカドーがありました。イトーヨーカドーにはちょっぴり上等な衣料品や食料品が売っており、季節に合わせた出店もあり特別にわくわくする場所です。

さて、祖母とえっちらこっちら歩いてイトーヨーカドーに着いたのですが、普段は屋上駐車場に停めて店内に入っていた為、入口が分からないのです。祖母に絶対に入口は屋上駐車場からだと言い張り屋上へと上がる長い坂を登りました。祖母は「はぁ〜エラい、エラい」と言い、くたくたでした。帰る頃になり出入口が1階にもあるのを知るのですが、祖母にしこたま怒られました。今からまた40分も歩いて帰らねばならないのに非常に疲れているとご立腹な祖母でした。祖母は出入口は1階にもあることを知っていたでしょうね、ですが、何故でしょうか、孫の言い分を聞いて長い坂を一緒に怒りながら登ってくれたのでした。

祖母には食べ物関係でもよく叱られたものです。ある時、20個ほどで3000円もするゼリーを祖母が買ってくれました。あまりにも美味しくて友達にも食べて欲しくて近所の友達に配っていると祖母が鬼の形相で現れ、
「のりこに食べさせたいと買ったんだ!友達の為じゃない!人にあげるな!」
めちゃくちゃに怒っていました。私にだけ食べさせたいと言われたのは初めてでした。母はあげたらいいではないかとのんびりした事を言っていました。どちらが子どもの心に良い影響を与えるのでしょうか、のんびりした事を言う母は一見好感度が高く正しい行動を促しているのかもしれません。ただ、正しさを子どもに過剰に求め続けると人として生きる事の難しさを背負わせてしまうことは確かです。

私は苦しく辛いことばかりだと、世界で1番に不幸だと嘆いたりもします。文章にすると世界で1番だなんて滑稽ですね。滑稽でも辛い気持ちは確かにあってしまうのです。

滑稽な私は、確かに幼く小さな私と愛着を作ろうとしてくれた人がいた、そこに愛着はあったことを思い出せました。辛いことや苦しいことがあまりにも大きくて祖母とのエピソードの中に愛着があることに気付いていませんでした。

きっと祖母は滑稽ではないと言ってくれるでしょう。私の辛さは確かにありました、今も私を苦しめています。ですが、小さく幼い私に好物を食べさせようとしてくれた、私だけのゼリーだとしてくれた人が存在していた事も事実です。

祖母との愛着に気づいた今、私は過去の辛い記憶だけではない自分を見つけられるようになりました。これから日常の中でふと祖母の存在を感じる瞬間に、心が少し穏やかになることでしょう。それが私にとって、生きることへの小さな希望に繋がっていけたらなと思います。

何が言いたいねん的な記事ですが、人って「生きる」に向かって生きてるんだねってことです。久しぶりだし無駄に長いし読んでくれる方はいるかしら?皆、覚えてるかしら?ドキドキしながら記事を出すのでした。

忘れていた理由をchatGPTは、

辛い記憶が強烈すぎると、それに関連しない穏やかな記憶が埋もれてしまうことがあります。脳はときに生き延びるために、防御反応として過去の情報を選んで整理します。辛い出来事に対処するため、脳が優しい記憶を後回しにしてしまったのかもしれません。

そう回答しています。

いいなと思ったら応援しよう!

とのむらのりこ
イイな❣️と思ったらサポートお願いします。ASD、カサンドラ関連の書籍購入、note内でのサポートに使わせていただきます。