「2021(37歳)」
年が明けても感染状況は全く治る気配は無かったが、そんな状況の中でも世界が変わってしまった後のライヴという名の再会を次々と果たす事が出来た。
元気にステージで演奏しているだけで、こんなにも尊い事なのかと以前よりも感謝と感激が強くなっていた。
そんな中、俺の務めていた仕事は忙しさを極め、昼休み以外は朝から夕方までほぼ休みなく電話対応に追われていた。
すると対応時の声で喋る事で、変な疲れ方をするようになった。
部屋に帰ってきたら、ずっと倒れ込んでいる事が増えていた。
これ以上は電話対応は出来ないという事で上司たちと話し合い仕事を辞める事にした。
仕事に穴を空けたり迷惑をかけてしまう前に見切りを付けられたので凄く良いタイミングだった。
有給を消化して4月で会社を辞めた。
2017年7月から離島から上京してきた得体の知れないような俺を雇ってくれて、好きな事も出来て、成長させてくれた事は凄く感謝している。
2020年の非常時以降の対応は残念だったが、何とか揉める事もなくお互いに良い感じで終わらせる事が出来た。
身体的な限界なので悔いも未練も全く無かった。
今まで併せて7年ほどやった電話対応メインの仕事はこれで終わりだと感慨深い気持ちになった。
最後の業務が終わって、外食して部屋に帰った時は解放されたかのように嬉しい気持ちと安堵感でいっぱいになった。
人が集まる事が悪とされる異常事態の中、思い切りストレス解消する事も出来ず、
感染したら大きな迷惑をかけるという状況の中、以前と変わらない状況で働き続けた事で精神面でも肉体面でもかなり疲弊していた。
去年、ライヴが中止になりまくって戻ってきた金や、他に使う事もなかったので貯蓄には割と余裕があった。
世の中的には思い切り遊べる状況ではないけれど、暫くはゆっくり疲れを癒そうと思った。
そして、ンンソロニールとして2020年の苛立ちや絶望の叫びが表現されたアルバム「2020〜奇跡みたいな悲劇、それが現実。〜」を発表した。
世の中で起きている事。自分がこの世に生を受けた事で悲劇に巻き込まれている事を悪い奇跡のようだと皮肉ったタイトル。
2020年の当時の荒々しい心境が生々しくパッケージされている。
この時期に曲を作れたからこそ正気を保つ事が出来た。
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久しぶりに何のしがらみもない生活。
好きな時間に起きて1日中気ままに過ごし、それが何日も続くのは不思議な感覚だった。
しかし世の中の感染状況が良くなる事はなく、緊急事態が解除されたかと思いきや、またすぐに緊急事態になったりとメチャクチャで翻弄されまくるかのような状況だった。
飲食店が夜遅くまで営業出来なかったり、酒類の提供が出来なかったりと妹と会食する時も不便を強いられた。
そんな中で行われているライヴで、MCがあるライヴでは必ずと言って良いほど、ウィルスの状況について話してくれた。
「春はいきなり来るんじゃなくて、ちょっとずつ来るものだと思っていて。今は皆辛い時期だけど、耐えた先には春が来る。今年これからどうなるか分からないけど、コロナが終わったらまた騒ぎましょう。」(OAU)
「このトンネルを抜けてまた盛り上がりたい。その時を待つんじゃなくて、引き寄せようぜ!」(LUNA SEA)
「大変な状況の中、覚悟を決めてきてくれてありがとう。声には出せない分、心の声をしっかり受け止めるから。」(LUNA SEA)
「(声が出せないフロアーにマイクを向けて)聞こえてるぞ!」(lynch.)
「この状況でライヴをやるのがどんな感じなのかやるまで分からなかった。でも、皆と最高の時間を過ごしているのは確実だと思います。」(J)
「マスクしたり制限はあっても楽しめるし、楽しませる力が俺たちにはあるから!来年はもう全裸でライヴだ!」(ASPARAGUS)
「周りに落ち込んでいる人がいたらライヴハウスに来ないか?ってそんな場所にしたい。」(HAWAIIAN6)
ライヴでのMCにはかなり励まされた。
ライヴが一度全滅した中で、ここまで辿り着いたんだと思うと涙が出た場面も多数あった。
希望はないとばかりにネガティヴにストレスを煽り続けるマスメディアとは大違いだ。
どちらが悪魔なのかは一目瞭然だった。
まるでウィルスと同じ敵だった。
この時期はどのライヴもフェスも目指している場所が同じだと思えた。
ライヴという文化を消す事なく、少しずつでも前へ進んでいきたい。
俺が余り好きではない感じのフェスも、この時は何とか成功して欲しいと願っていた。
ライヴシーンは大変な状況だったけれど、この時にしかなかった感動というものが確実にあった。
どんな状況であっても音楽は偉大だという事を改めて体感し、ライヴや音楽がより好きになった。
すぐに働く事が良いとは思っていなかったが、失業保険を貰うには仕事を探した実績が必要であるため、条件が良い仕事があればエントリーしていたが、技術的な部分で何度も落とされた。
緊急事態宣言中は実績は不要だった。
感染状況も治る事なく、まるで野球の試合結果のように感染者数がエンタメになっているような狂った世の中。
未知なるウィルスに感染して後遺症が残ったりするのは嫌だ。
蓄えもあり焦りもなかったので、また働き出したら長期でこんなにゆっくり過ごす事も出来ないと、有事にこの人生において7ヶ月ほど時間に余裕のある無職を過ごせたのは凄く良かった。
これまでの人生の疲れも癒せた気がした。
それもあって2024年の今でもしばらく長く休みたいという気持ちにはならず、今は突っ走りたいという気持ちが持続している。
今までの経験を生かせるような事務職に就く事を目標にしていたから8月からは毎日Excelを勉強していた。
休む事にもだいぶ満足したので10月中旬くらいからは仕事を探し始めた。
ワクチンが普及した事により感染状況もマシになっていった。
11月に仕事を探す先を変えたところ、完全テレワークで今までの経験が生かせそうなチャットでの対応の仕事があった。
今までの経験とExcelがある程度使用できる事も買われ、採用された。
仕事内容も条件もかなり自分に合っていると思えたので、これは大チャンスだと絶対にモノにしてやると燃えまくった。
文章での対応は電話対応よりも考える時間があるため向いていた。
テレワークは出勤が不要となるため、自分の時間も増える。
外に出ればどんなに気を使っても何かの病気に感染するリスクはある。
睡眠もしっかり取れ、疲れが溜まったら仕事終わりにすぐに休む事も出来るので健康にもかなり良いと思える。
体調が悪い時も出勤が不要なので、3年間一度も欠勤した事はなかった。
パンデミックにならなければ、こういった業務形態も広まらなかったかも知れないと思うと、かなり良い時期に転職が出来たと思える。
存分に休む事もでき、仕事面で新しいスタートもきれ、ウィルス騒動以降、沢山の再会を果たせた2021年だった。