住みたい場所と、暮らし方と、実際のところ。
祖父の家は、石垣で少し高くなった敷地に建っている。前面道路を挟んで、向こう側は海だ。窓を開ければ海風が入り、波の音もして気持ちが良い。
一方で、海から続く坂道を登ると、田んぼや畑が広がり、その奥へ進めばすぐに山へ到達する。すごい地形だ。海の幸も山の幸も手に入れられて、畑や田んぼもできる。
畑に行けば、祖父の育てた野菜や、わたしが生まれた時に植えてくれた果樹園もあった。もう少し奥に山に入れば筍や松茸もある。
中学生のときの「将来の夢」
わたしは、地方の「県庁所在地」に在住している。
両親は、「田舎」の出身で、とりわけ父方の実家がある場所は「限界集落」といっても過言ではない。なぜなら、77歳で亡くなった祖父が「若手」と呼ばれていたからだ。
中学生のわたしの夢は「じーちゃんちに住む」ことだった。今でこそ、”田舎暮らし”的なことにに注目が集まっているように感じる。一部それに対する嘲笑もあるようだが。
当時のわたしは、単純にあの環境が好きで、まわりとの付き合いなど考えていなかった。「毎日着物を着て、軽トラを乗り回して、畑を耕して、来た人に料理を振る舞いたい!」という夢だった。
祖父の家がもともと民宿をしていた、ということを知ったからかもしれない。
中学生のわたしは、「こんな素敵な場所にみんな住もうとしないなんてもったいない!」と思っていた。そして、人をもっと呼び寄せるには「イオンができたらいいのに」と思っていた。
…イオンができたくらいで人が住み着くわけがない。と後々何度も過去の自分にツッコミを入れることとなる。
でも、「こんな素敵な場所にみんな住もうとしないなんてもったいない!」という意見については、いまだに感じていることだ。
本当は住みたい場所
本当は、あの場所に住みたい。それは今でも思っている。
本当は、じーちゃんの農業を継ぎたかった。
わたしが一級建築士の試験を終えて勉強もひと段落したので、次の年からは「じーちゃんの畑や田んぼ手伝いたい!」と思っていた。その矢先、祖父が他界した。3日前に会って、一緒に晩酌をしたばかりだった。
祖父が亡くなった後、祖母とは血縁がなかったため、色々と複雑な揉め事等が起こったりとバタバタした。農家を継ぐとか継がないとか、それどころではなかった。
そうこうしているうちに、わたし自身も状況が変わっていった。
現在は、結婚して新居の工事中である。今住んでいる「県庁所在地」に家を構えることとなった。仕事としても、この場所にいなければ色々と不便がある。主人の仕事もある。
これで、あの場所に”住む”ということは、本格的に難しくなってきたな…と思い始めた。
本家の減築
父の実家である祖父の家は、民宿や農家をしていたり、そのまた昔は質屋をしていた経緯もあり、蔵も含めて建物が大きすぎた。そのため、一部解体(減築)をすることとなったのだ。
ただ、仏壇もあれば、畑や山もまだ残っている。空き家バンクからも声がかかっているが、貸したり売ったりすると不便があるということだった。母屋は残して活用し、他は解体することとした。
父にとっては生まれ育った家だ。母屋が残るとはいえ、わたしでさえ悲しく寂しかったのに、父の心情は計り知れない。
それでも両親は「産廃費用も上がってるから、あなたたちの代まで残しておくと、解体に莫大な費用がかかってしまうかも」とのことで、解体を決意してくれた。
「空き家」だが、改修工事をすることに。
「ついでに、改修すっか。」ということで、コンパクトな部屋にLDKと水回りを新調した。廊下を挟んで向こう側には、わたしの大好きな立派な和室がまだ残っている。そこを解体することは、わたしが断固反対したのだ。
※台所やお風呂があった部屋を解体することになったので、当面使えるようにするための改修。
こうして、気軽に訪れることができる別荘ができた。
水回りも綺麗になったので、友人を呼ぶこともできそうだ。
大きな敷地から建物がなくなったことで、敷地の大半を持て余すこととなった。キャンプ場を運営できそうな勢いである。外でバーベーキューをしたってまだまだ余るほどの敷地だ。
「住む」にこだわる必要はない。「滞在」できる場所を多く持つこと。
”ずっと住む場所”を一つ決めるのも良いが、複数拠点を作るというのもアリだ。リモートワークの流れがいつまで続くかは分からないが、「ワーケーション」と同じように、日によっては別荘で仕事をすることもできるかもしれない。
「ホテルを点々とするのが好きだ」という人もいると聞く。
同じように、その日の気分で滞在する場所を変えていくような暮らし方も良いのかもしれない、と思った。
県庁所在地からは2時間半かかるうえに、電波は弱いのだが。最近は、移住者も増えてきていると聞く。
拠点が増えて、かつ、それがわたしのすごく好きな場所であることが、とても嬉しい。
もっと気軽に滞在場所のことを考える
「限界集落を守れ!」なんて、おこがましい話だ。
移住者を増やしてまちを守れる集落があるなら、それはもちろん良い話だ。
「都会が良い」「田舎が良い」「限界集落の問題は」と、そんな両極端に難しく考えなくても良いのではないか。あるときは都会に、あるときは田舎に、とか、もっとゆるく過ごせる方法はないだろうか。
自分がここにいたい、と思った場所に、自分のペースで、自分の好きな形態で滞在していけるような未来になると良いな、と考える。
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