お前かい!!!
SIGNALという、チョン•ジュヨンさんの本を読んでいる。
めっちゃ素敵。というか、私の元の価値観と合ってて、それを例証しつつ理論的に後押ししてくれる感じでめっちゃ元気出る。だよねだよね!信じていいよね!って言いたくなる。
本は買わない人だけど、これは買ってよかった。何度も読みたい。
本の内容はというと、簡単に言えば、能力も気持ちも含めて、自分のことを信じようってこと。
他人や社会は否定的な視線や考え(本では視線や考えのことをシグナルといっていました、私の解釈がまちがっていなければ!)を送りつけてくるかもしれないけど、それでも自分を信じてってこと。
それで、自分はどうか、って考えてみた。
なんだかもっと出来そうな自分を感じているのに、やりきれていない。悪いシグナルがあるなら断ち切りたい。誰だ誰だ、私に悪いシグナルを送ってるのは。
と、過去の記憶を全部ひっくり返してみた。
けどねえ、幸運すぎることに、人にめちゃくちゃ恵まれてるんよねえ。幸せすぎる。みんな励ましてくれるし、応援してくれるし。どうせできないとか言われたことない。あ、ないことはない。それはさておき。
大学受験のときも、受からないから第一志望やめます、って先生に言ったら、受かるから絶対いけ
ってすごい顔で言われて、(悪口じゃないよ、あの、オーラがすごかったの)結局その通り合格した。ありがとうございます!!!
てな感じで、できない!ってシグナルより、できる!ってシグナルの方が圧倒的に多い。
あれ?って思ったとき、ぽわぽわぽわ〜と浮かんだ人物は、、、
自分
お前かーい!!!!ついずっこけたよね。
これ笑うとこ。
なんかできない、やりきれてない、って思うのは、目につく「達成」と呼ばれるもの、例えば事業してます!とかサークル立ち上げて何百人動員しました!とかそういうの。かっこいいよね。すごいよね。誰がみてもすごい、ってわかる。
こういう感じのことは、人を巻き込む必要があるから、あまりやる気が起きない。
人を巻き込むことにすごい恐怖がある。
(それはそれで直すべきかしらんけど。
というのも、3年間生徒会役員で、生徒会長を務めた経験から思うのだ。
会長となると、役員のこと、生徒のこと、先生のこと、、考えることがめちゃくちゃ多い。それでいて期間とかもめっちゃタイトだから、次から次へと進めていかないといけない。
責任感に押し潰されそうだった。
毎日誰かが自分のせいで嫌な思いをして、
毎日誰かが自分のせいで大変な思いをして。
そう思うと辛かった。死にたいって毎日思ってた。毎日泣いてた。
ある日職員室に入った瞬間、先生に「んの字ちゃん大丈夫?鬱になりそうで心配やわ」って言われた。その瞬間(あ、これが鬱なんだ。自分鬱なんだ。先生、もう私鬱だよ。助けて。)って思った。けど、自分がここで助けを求めたらもっと手間をかけてしまう。考えることを増やしてしまう。ただでさえ大変なのに。だから言わなかった。笑って「大丈夫です」って言った。
こういう時期、泣きながら思ってたこと。
「ダメな自分、いなくなってしまえ」
「自分さえ死ねばいいのに」
「なんでできないの?頭が悪い要領が悪い出来損ない」
毎日の業務でもう頭はパンク状態だったから、同じことしか考えられなかった。逆に、毎日同じことを唱えることで半ば安心していたのかもしれない。
普段なら、できないことがあれば原因を見つけて改善策を考えて、ってするんだけど、まず大勢巻き込むことになったら不確定要素が多すぎる。あと、トレードオフでリスクを背負う人を選べない。そして何より、頭と体と時間がいっぱいいっぱいだった。判定Eの大学にどうしても行きたかった。頭の片隅ではいつも不安だった。だから、ゆっくり自分に向き合って、課題に向き合って、分析して、っていう時間がなかった。
思い返せば、特に大きな失敗をしたわけでは(実はしてたら申し訳ない、怖すぎる)ない。応援してもらえたり、「生徒会長さん」って違う学年の知らない子に挨拶してもらったり、頑張ってるねって先生に褒められたり。一番怖いと言われている先生が職員室で、今回の体育祭の成功はんの字のおかげや!あいつすごいで!って言ってくれてたらしい。嬉しすぎる。そんな思い出もたくさんある。
それなのに自分の生徒会生活は失敗だった、高校生活は半分思い出すのが怖い、と思ってしまうのは、毎晩の魔の呪文のせいかもしれない。
本の考え方に従えば、私は毎日、自分に否定的なシグナルを送っていたことになるのだ。
せっかくいい環境にいるのに自分が1番の敵になるとは、、うーん、もったいなすぎる!!!
まあでも、自分でよかった!だって、自分は全人類の中で一番変えやすい人間だから!
自分よ!私の味方になってくれよな!