別れ

さよならには強い方だった。
6年過ごした中高の卒業式も泣かなかったし、ホームシックで辛くなったことはほとんどない。なんだったら、ホームシックを体感したくて、無理やり涙を絞り出したこともある。

今回は違った。怖い。寂しい。惜しい。後悔。

やっと手に入れた安心安全空間を、自分から飛び出して、新しい場所へ向かう。また一から作り直す。何も知らない。誰も知らない土地へ。

今までに体感したことのない辛さ。

かつ、今まで避けてきたもの。

小学校4年生、3年間同じクラスだった、大好きな友達と違うクラスになった。新しい教室に入る前、寂しくて1人で泣いた。そしてその時誓った。

「新しいクラスでたくさんの仲良しを作ろう。そして、あの子と違うクラスでも、最高に楽しかったって言えるようになろう。これからは絶対に、1人に依存しない、こんな思い二度としないように。」

依存するのが怖い。

そうじゃない。大好きな人に会えなくなるのが辛い。

グループでの楽しさ、ランダムに集まった人、1人でも違えば、1人でもかければ、増えれば、違う雰囲気と違う楽しさがある。ただし、いつも楽しさは保証されている。

たくさんの人に会いたい、と思うのは、自分に「大丈夫だよ」って言ってあげたいから。

あの人がいなくなっても、この人もその人もいい人だよ。1人にならないよ。

って、「怖い」って思うときこそ、「この人が好きだ」と思うときこそ思う。

「怖そうだ」って思ったときこそ、当たってみる。

「ほら、怖くないでしょ」って、自分に成功体験を与えてあげる。

だから、割となんでもやる。

新しいことを始めるモチベーションの持ち方は、少し人と変わってるかもしれない。

今回もそう。何も制約はないのだから、滞在を引き伸ばしてもいい。だけど、今引き伸ばしたら、新しい土地に行くのがもっと怖くなる。本当に依存してしまう、そしてまた、「ここにいたら大丈夫」が、真ではないことに気づいてしまって、ショックを受ける。

【安心】

何かが保証されていると、ずっと思いたかったのかもしれない。

ずっとなんてないと、わかっているつもりだった。確実なものもない、約束は破られる、と言い聞かせて、ショックを受けないように自分を守ってきた。

頭でわかってるだけだった。理解して腑に落ちてるから、そしてそう思う方が悲しい思いをせずにすむから、そう言い聞かせてきた。

だけど、大人になったふりを、大丈夫なふりをしてるだけで、本当はずっと、拠り所がほしかった。絶対になくならないもの。疑う必要のないもの。ここに行ったら、この人に会えば、絶対に大丈夫。っていつも思える場所、人。

いなくなるかもしれない、楽しそうだけど楽しくないかもしれない、という「守り」は、全てを50%にしてしまう。悲しいも50%、だけど嬉しいも50%。

中学3年生の自分が高校3年生の自分にあてた手紙。

「今、何もかもつまらないです。」

「楽しい!面白い!美味しい!幸せ!と100%と感じられない」

それは、自分が悲しみやショックに正対できる強さがないと思って守ってきたからだと、最近になって思うようになった。

【感じる】

大切にしていること。

自然や空の美しさ。人のちょっとした気遣いや優しさ、感情の機微に気づくこと。

今日はぽかぽかお日様があったかくて、気持ちいいな〜幸せだな〜

ってそう思っていたい。そういう姿勢でいたい。

実は、やりたいことがたくさんあるわけじゃない。

何かをすることや、どこかに行くこと自体よりも、それらを経験した時の自分の感情に出会いたい。新しい感情。何かが生まれる感覚。身震い。それらの、ある種の刺激を求めているんだと思う。

だけど、それは何も生み出さない。というのは、人に伝わらない。

「これがほしいです!」と言ってれば、わかりやすい。

「あ!持ってるよ」と渡しやすい。
「あの人が持ってたよ」と伝えやすい。

だから、わからなくても、自分で何がほしいのか、あたりをつける必要があるし、テキトーでもいいから、何か持っておく必要がある。

受け身でも、本当に手放しの受け身は、「受ける」どころか投げてももらえない。

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