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楽しく生きるための「暮らし方」探求

ようやく北欧らしい夏の気候に戻り、気持ちが落ち着いているこの頃。


そういえば、こちらにくる直前くらいから、ふわふわと(っていうと多少の誤解が生じるかもしれませんが)フリーランスをはじめ、そろそろ1年が経ちそうらしい。

この状況も手伝って対面の機会が減ったものの、主に文章で伝えるしごとを通じて出会った人はすでに多く、今までとはまた違った意味で新しい挑戦をさせてもらえている。ありがたや~


その一方で、自分の経験から得た知見をもとにリサーチを深めたり、問題に言及することもあるので、担当の方々と色々やり取りするたびに「いろいろな経験をされていますね~」といってもらえ、ついには「Nochuさんの生き方が楽しそう」とまでいっていただくことも増えたような気がする。


この「楽しそうに生きている」という言葉を受け取るたびに、え?どういうこと?と一瞬驚くのですが、たしかに少なくとも自分が日本で社会人として生きていた頃は、この「楽しく生きる」の方向性にかなり迷っていたかもしれないな~、とふと思い出したのでした。


そこで、先日森へ散歩をした際、自分にとって「楽しく生きるってどういうことだろう?」と考えたことを、帰ってからTumblrの中で雑に記録したのですが、こちらでも役に立つことがあるといいな、という願いから、まるっとシェアしてみます。

あまりまとまっていないうえ、あっちだと全然改行とかしないので、とても読みづらいですが、本来の「はたらく」「休む」「あそぶ」といった概念は、すべて「暮らし」の中に集約できて、バランスを上手に保てば全部ひっくるめて楽しく生きられるんじゃないかな~ということが言いたかった、のだと思います。


では、どうぞ~


15.07.2021
~わたし的ワークライフバランスの話~

まだまだ暑いです。しかし週末が過ぎればヒートウェーブもさってくれるらしいので、もうすこしの辛抱。ちなみにそのあとは最高気温が20度中盤をウロウロするようすです。やったね(こうでなくちゃ北欧~)

とはいえ、実は昨日の日中、久しぶりに雨が降りました。それもまあまあな量。こうなると北欧の天候では、ムシムシせずひんやりするのです。いやはや快適だった。


と同時に、本来なら3日働いて1~2日休むスタイルをとっているものの、つい「これはキノコに出会えるかもしれない・・?」と期待の念が脳をよぎったのです。

どちらにせよ、この2日くらいちょっと寝不足&夏バテ気味。昨夜は快眠でしたがその前は熱帯夜よろしく真夜中に起きる始末だったので、エネルギー不足を感じていたところ。


というわけで、急遽作業を延ばして今朝、また森へ行ってきました。

「また」と書いたけど、4月くらいからほとんど2週間に1回のペースで森に出ているわたし。こっちは自然享受権のおかげで、自然の恵みはほとんど自由に採っていいことになっている。

なので、春は野草を摘みに行ったし、いまはベリーの季節。今日はちょっと早かったけれど、もうすこししたらすぐにきのこシーズンがやってくる。ワクワク。


と、だいぶ前置きが長くなったけど、こういうときやっぱり優先すべきは自然のアクティビティなのかな~と思ったりするのです。

無理やり3日働いてもよかったかもしれないが、やっぱりエネルギー不足の中がんばったってそもそも集中できないのは目に見えている。それに、森林浴やアーシングを通して、身体を癒す時間はとっても大切なのだ。

そして、森を含めた自然の恵みに関していえば、旬って案外あっという間。だからベストの時期を知り、天候と相談しながら「今だ!」というタイミングを狙うもんなのです。


町のお店やレジャー施設は大体いつでも行けるけど、季節の恵みは1年に一瞬だけ。だからこそ、毎年の楽しみとして旬を探しに行き、おいしく&たのしく、そしてありがたくいただくことで、改めて自然の偉大さを感じるものではないかしら。


そういう意味で、仕事の締め切りは(モノによると思うが)待ってくれるけれど、自然はそう簡単には待ってくれない。なんなら突然の雨風もしくは日照り続きなんかで、その年の恵みが一気に消え去ってしまうことだって、ある。

個人的に、お金も生きるぶんだけは必要という意味である程度大切なんだけど、こういう自然の旬を頂く行為は「遊び」ともとれるので、「はたらく」とのバランスをとることもまた大切だと思うのです。


常々、自然と人とが寄り添う暮らし方を求め、「はたらく」と「くらす」のバランスをどうとっていこうか?ということも考えているけれど、この「はたらく」が何を指すかによって、暮らしの質はかなり変わるような気がするし、フレキシビリティも随分変化するように思う。

それはたとえば、今までの自分の経験からいうと、ざっくりいって(形態はどうであれ)企業に勤めることと、自然を相手にして仕事をすること、に分けてもいいかなと。


どちらにしても、今までのわたしは両者において「組織に属する」という点は変わりなかったのだけど、前者はとにかく機械的に動く。接客とか同僚との会話なんかはもちろん対人だけども、仕事の内容としては、とりあえず与えられたことをやる。自分で生み出す場合もあるけど、それもビジネスのため。

お休みの日は、もちろんやりたいこともできるし、お金も安定して入るものですが、これまでわたしは常に「この仕事の意味とは一体」と考え込んでしまうものばかりだった。むしろわたしは新卒時代(唯一の「社会人時代」といってもよい)が、精神的にいちばん辛かったかな~。ひとり暮らししている中でなぜか一番貧乏でもあった時代。

対する後者は、主に畑をやっている人たちと一緒にやっていたけれど、基本的に自然が相手なので、天候によって仕事内容も、なんならお休みが変わることもある。作物でも野生でも、タイミングを狙って収穫・加工するので、わたしたち人間都合じゃなく「自然に生かされている感じ」とでもいえばいいのだろうか。


でも操られているとかそういうことじゃなくて、こっちもそれを楽しむこともできるので、なんというか器が大きくなる感じ。そして無事に収穫出来たら、自然の恵みがいかにありがたいかを思い知り、また来年も出会えますようにってお祈りするもんや。これが自然崇拝や神道につながるのは、とてもよく分かります。


不思議だなと思うのは、個人の経験として、ひたすらお金を求めて仕事をしていた前者の時代も決してお金持ちではなかったし、精神的には常にストレスフルだった。仕事の日はほかのことを考える余裕がなくなり、食べるものも気を遣わなくなりがち。


でも、後者(今はセルフエンプロイドだけど自然へのアクセスがいいという意味でこっちに含めます)は、草木や土に触れる時間が多いからか、自然と体はリラックスしている。体調や感情を自分で観察しやすく、食べるものでちょっとしたエネルギーの変化も分かるもの。1日の労働時間が長くて忙しいこともあったけど、特に今はひとりで過ごす時間が多いからか、感情やエネルギーの変化に敏感でいられて、自分がどうしたいか?に比較的忠実に行動できるのがいいところ。

何より、自然がもたらしてくれる旬の恵みって、ホントにエネルギーに満ち溢れているんだな~と、よくよく思わされるものです。


ワークライフバランスという言葉で考えるとき、純粋に「はたらく」と「遊ぶ」「休む」のような単語を天秤にかけるのではなく、まず生きるために何よりもの根幹である「暮らし」の質を上げることから考えるべきなんじゃないかな。

わたしの場合、それを考えぬいたとき、辿り着く先が「自然と寄り添う暮らし」だった。だって生き物たるもの、自然がないと生きていけないもの。


そういう意味で、わたしにとって「はたらく」とは純粋にお金を稼ぐことだけじゃなくて、自然の恵みをいただき、調理したり加工して長く保存したりする作業もまた「しごと」だと捉えている。暮らしのためのしごとといえばいいのかな。ほかの掃除とか洗濯とか、手仕事さえも同じように考えています。

だから、本来「はたらく」って、お金基準で考えるべきじゃないと思うのだ。いかに快適な暮らしを求めるかによって、仕事の内容はいかにようも変わってくるから。


わたしは秋に日本に戻るつもりだけど、今まで幸せの国といわれるノルウェーや、日本よりも物価が低くてお気楽フリーランス状態でもギリギリ生きられるリトアニアで「はたらく」と「暮らす」を経験してみたけれど、やっぱり日本の外で外国人として在留ために、まずお金が必要、という点においては、わたしの理想的な暮らし方はちょっと遠のくような気がしている。

もちろんこのご時世、何を始めるにもお金は必要なんだけど、だからこそ選択肢が広い母国で。小さくはじめることがわたしにとってはベストなのかな、と思っているところです。


だいぶ長くなってしまいましたが、森でゆっくり過ごしたらこんな考えが脳内を駆け巡って離れなくなってしまったので、メモ。

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rie nochu|sumiyas
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