肌に触れる素材選びで、暮らしの質はもっとよくなる
最近、久しぶりに服を買う機会がやってきました。一体いつぶりなんだろうか。
たしか前回リトアニアにいた際は、服を1着も買いませんでした。その代わりリネン布地を手に入れたので、もんぺを1着縫ったけども。
もちろん、愛着という面では、たとえ作り手が自分でなくても手仕事に勝るものってないだろうと思うのですが、今回お話したいのはもっと手前、素材のこと。
先に言っておくと、わたしは素材とデザイン(実用性)の両方がともなって、はじめて「快適かつ長く使える」と考えています。
素材がよくてもデザインがイマイチだと結局いずれ使わなくなってしまうし、逆にデザインは好きだけど着心地が・・となれば、それもそれで長く付き合うのは難しい。
だから、今回は素材の話を中心に書くけれど、デザインについてお好みで選んでもらえるといいのかな、と思います。こういうところに、クリエイティブな発想が出来る、人間ならではの興味深い能力が発揮されるような気がする。
この話を書こうと思ったひとつの大きな理由として、今まで自分が食に関して向き合う人々を出会う中で「食べ物や自分自身の身体への配慮は素晴らしいけど、衣服や暮らしの道具にまで目が向いていないのかな」と思うことが、それなりに多かったことが挙げられます。
普段から添加物や農薬に気を遣っている人、畑で毎日土と触れながら野菜を育てている人、セルフケアが上手でハーブエキス入りのアイテムを愛用している人、など。
でも、わたしのフィルターを通して気が付いたのは、意外にも彼らの中に服の素材や道具の選び方にまで気を配りきれていないことが、案外ある。
きっと金銭的な事情もあるだろうし、単純にあまりこだわりがないというのもあるでしょう。
けれど、ここで着目している「衣服」に関しては、身に着けてから脱ぐまでの間、基本的にずっと肌に触れているもの。見た目のよさや使い勝手はもちろんだけど、着心地を大きく左右するし、肌の状態、ひいては自分の心の状態にも影響すると思うのです。
もちろんわたしがオススメするのは自然素材なのですが、その理由は多角的に挙げれば色々ある。主に環境・倫理・健康上の理由など。
だから、例えば同じコットンでも環境負担のことを考えればオーガニックコットンを選んでほしい(そして長く使ってほしい)し、動物素材の中でも動物をひどく痛めつけたり、あるいは命を奪ったりするようなもの(アンゴラやミンク、革など)は選ばないでほしいなあと思います。
今回ここで綴るのは、身に着ける素材が肌に触れることによる、心身への影響について。
あくまでも経験に基づく自己考察なので、そんな考え方もあるんだなと思ってくれればうれしいです。
衣服の資材選びで、暮らしに影響すること
個人的に、衣服の素材選びによる暮らしへの影響は、大きく分けて3つあると考えています。
①自分の心と身体への影響
まず肌に触れる素材の心地よさは、実は無意識ながら敏感に感知しています。
人間の五感の中に「触覚」があることからも分かるように、肌に触れるものは自分の心と身体に直接関係しているはずです。
特に、肌着は直に肌に触れるものだし、汗や皮脂の調節にも関わってきます。だからこそ、肌着+トップスやトルソーを、保温・保湿作用や通気性に優れた自然素材で上手に組み合わせるのがよいと思います。
個人的には、肌着はオーガニックコットンやシルク、重ね着(というか普通のカットソーとかワンピース、ボトムス類)に麻類・ウールを使うことが多いです。特にリネンは素材によって年中使えるのがいいところ。
女性の場合は生理用品にも配慮が必要と思います。以前、植物療法の先生が「膣は特に敏感で、経皮吸収率が高い」と教えてくれましたが、わたしも数年前からオーガニックコットン製の布ナプキンに変えて、生理トラブルはぐっと減ったな~と実感中。
どこまで関係しているのは分かりませんが、生理トラブルからくるさまざまな症状・病気は、食生活だけでなく普段から肌に触れているものも、少なからず関わっていると思う。
はっきりと「病気」とまではいかなくても、日々のちょっとした不調やイライラ・不安みたいな部分は、食べ物以外にも「何が肌に触れているか」によって案外変わってきます。
少なくともわたしにとってはそうで、昔は化学繊維の肌着やパンツを普通に持っていたのですが、学生の頃から少しずつ素材を切り替えるにつれ、自分の心に余裕が生まれるようになりました。
ほかの要因もあるだろうとはいえ、家事や作業中もずっと肌に当たるものが心地悪ければ、そりゃ嫌な気分にもなります。
ただ着心地が悪いだけでなく、汗や皮脂を吸ったあとの「べたべたする」とか「全然乾かなくて気持ち悪い」といった状態も、自分の調和を乱しますよね。それが毎日続くなら尚更ストレスです。
だから、自分の機嫌を取るというポイントだけを見ても、衣服の素材を見直す価値はあります。
加えて、長い目で見た際の心身の健康状態に対しても、必ず効果はあるはずです。
とはいえ、同じ自然素材でも、ライフスタイルによっては、あまり合わない場合もあります。例えばわたしでいうところのジーンズみたいな。すごい冷えるし、重いのが個人的にネック。
自分にとっては、案外これがイライラ・不安への元凶だと気が付いたのでやめました。
そんな風に、自分の暮らしの形や、実際に身に着けている間の感覚・感情を俯瞰して観察するのが、ぴったりの素材を見つける大きなヒントになるんじゃないかな。
②他人とのコミュニケーションへの影響
イライラや不安の元凶が自分自身に影響するということは、まわりとの接し方にも違いが出てくるということ。
その原因は、もちろんすべてではないけれど、時には相手ではなく自分のほうにあることだって、ある。
イライラや不調の元凶を深く辿ったとき、意外にそれが「衣服の着心地が悪かった」ということ、あると思うのです。わたしはありました。特に10代の頃。
もしそれが原因で、自分にだけでなく周りの人にまで負の連鎖を与えてしまった経験が一度でもあるなら、まずは自分自身の習慣やそれが及ぼす影響を俯瞰して、自分自身がどう感じているのか?を観察してみましょう。
わたしは個人的に、化繊のヒヤッとする感触や、肌にへばりつくような着心地が好きではありません。冬は乾燥するし、夏はずっと引っ付いている感じがするから。
些細なことのように思われるかもしれませんが、こんなところから「あ~イライラする」「気持ちが悪くて作業に集中できない」に始まり、次第に周りへの配慮が疎かになること、案外よくあります。
そんな面からも、衣服の素材による心地よさは、自然と心に余裕が生まれるもの。ぜひ身に付ける衣服の素材を見直してみて下さい。
③暮らし全体の「質」への影響
これまで「自分のこと」「他人のこと」へ言及してきましたが、更に毎日の暮らしに影響が出るのは、きっともうみなさん想像できるのではないでしょうか。
毎日の家事や作業でたくさん動いたり、あるいはじっと座っているときだって、衣服によるストレスは少ないほうがいいもんです。蒸れたり乾燥したりして、日々の暮らしに影響が出るようなら、それも素材が一因かもしれません。
事実、わたしの経験として、学生の頃からゆっくりと少しずつ手持ちの服を切り替えてきて、今がいちばん暮らしの質に対して満足しています。
もちろん他にも「もっと自然が近くにある場所がいい」とかいう願望はありますし、複合的な要素を考えればほかに出来ることはあるけれど、衣服によるストレスというものは、おそらく一切ありません。
さらにいえば、一度購入した衣服はどれも最低2年以上は使えている。なんなら修繕を繰り返して10年近く使っているものまである。
そんな風に、着心地のよい衣服は、できるだけ長く使いたいと思えるもの。最後は土に還る素材という点でも、罪悪感を抱きにくいのは個人的によい。
あと、わたしはどうしても衣服として使えなくなってしまったアイテムを、ふんどしパンツとか布ナプキンのライナーにリメイクして使ったり、ウエスや雑巾のような掃除用具にします。
だから、そこでもマイクロプラスチックを出さず、ものの命がある限りまっとうしてもらえるような気がします。
思えば昔はもっと古着を好んでいました。でも今はあまり選ばなくなったのは、純粋に古着として出回る衣服の質の低下が挙げられます。
古着屋さんによってはもちろん質の高いところもあるけれど、ゼロウェイストを目的にセカンドハンドのアイテムを探そうとすると、多くがファストファッションやそれに近いもの。もともと着用期間を短く想定した服なので、質がよくないというのは当然の話でしょう。
ちょっと話が逸れましたが、そういう意味でもわたしは「素材」と「デザイン(実用を重視したもの)」の両方が大事、と思います。
もっと色々な観点で言いたいことはあるし、未だに知らないことも多いだろうけれど、とりあえず今思うことはこんな感じ。
最後に、本来ならば、素材だけでなく染めにも気を遣いたいところです。ただわたし自身も100%は実践できていなくて、もっと追究したいところ。
なので出来ることとしては、いま思いつくかぎりで2つ。まずは、GOTS認証やOEKO-TEXのように、生産過程全体を通して環境負荷への配慮をしていることが分かる製品を選ぶこと。認証の審査には水に関するチェックポイントもあるので、染料は比較的やさしいものを使っている場合が多いようです。
もうひとつは、無染色のアイテムを選ぶこと。最初はそのまま使って、汚れたり飽きたりしたら、自分で染めちゃうって方法です。わたしはこれを時々やっています。
食べたものは身体のエネルギーとして取りこまれていくけれど、衣服は主に肌から心身の状態を作用するもの。
すでに自分の心や体のために何かを実践している人、これから始めようと考えている人にとって、この思考が何かしらの役に立ちますように。