【リトアニア滞在記】ワーホリ期間をまっとうしてみて
わたしはこの10月で、ついに(?)リトアニアでのワーホリを終え、日本に帰国する予定です。
厳密にいえば、あと10日くらい残っているのですが、あまり間際だと準備でバタバタしてしまうと思ったので、今のうちにこの1年を俯瞰し「どうだったかな~(ざっくり)」というのを考えてみます。と思ったら超絶長文になってしまったので、無理なくお読みいただけるとうれしいです。
初めてのリトアニア長期滞在を通して
まず前提として、わたしがリトアニアに入国するのは(たぶん)5回目。
ただし、今までは主に1週間程度の旅行・観光目的で訪れることがほとんどでした。
1度、シェンゲン圏にいられるギリギリの期間、WWOOFを利用してリトアニアのド田舎に暮らしていたことがあるくらい。それはそれで本当にいい経験だったし、だからこそ「もう一度来たい!」という気持ちが強くなったのですが、いざ長く住むってなるとね。なんでも自分でやらなくちゃいけなくなる点が、今回との大きな違いといえるでしょう。
そんな感じで、自分にとってリトアニアで長期滞在をするという、未知の体験だった今回。そのうえで一番に「本当にほぼ1年間いられちゃったな」というのが正直な感想です。達成感というよりは、びっくりみたいな感じかなあ。
今から思えば、ノルウェーのときは(予想外でしたが)途中で一時帰国をしたのでした。だから、まるまる1年日本へ帰っていないという状況、実は初めてだったりする。
しかも、あの時は現地の会社に雇ってもらい、ノルウェー基準でお給料をいただいて、それなりに安定した生活ができていました。が今回は、はじめから「フリーランスとしてやってみよう」という気持ちもあったので、あえて現地での職探しはせず、自力でどこまで頑張れるか?という力試しのような実験のような要素も含めての滞在だったのです。
仕事の話はまたあとで記しますが、そんなんだから、今回こうして無事にリトアニアで1年暮らせたというのは、自分にとってはなかなかの奇跡です。
とにかく「リトアニアに暮らせてよかった」
1年という時間と現地での暮らしを通して、思うことは色々あれど、やはり自分にとってずっとやってみたかった「リトアニアで暮らす」というのを体験できて、ほんとうによかったです。
タイミングは今更考え直しても遅いし、どうしようもないわけですが、とにかくこれは実行しなかったら、一生モヤモヤしていたでしょう。どんな結果であれ、やってみなければ見えてこなかったことはあったはずなので、行動したことについては自分をほめたいと思います。
また、いつかの記事で「居住申請(Temporary residence permit)に挑戦した」と書きましたが、あれも試してみてよかった。
自分の状況を、いま一度俯瞰することができたし、改めて「本当にここに残りたいのか?」という疑問を当時の自分にぶつけ直し、これからどうしたい?を詰め直すきっかけになったかなと。
そして、これは個人的にワーホリだから体験できることだと思うのです(もちろん目的によっては他のビザでも可能)が、留学や駐在の場合とは違い、すべての手続きを自分でやらなくちゃいけないこと。
しかも前回のノルウェーワーホリの際は、事前に情報を探せばそれなりに出てきたし、現地に暮らす日本人に聞けば解決できることも多かったのですが、リトアニアの場合はそれが全然ない。なんたって、在住日本人100人もいないからね。ワーホリも出来て1年くらいしか経っていないし、この状況で渡ってくる人なんかほとんどいなかったのでしょう。
そういう意味で、本当に基本的なところから自力で探し、体当たり的にやってみないと分からないことが、結構多かったです。
そこで分かったこと・気が付いたこと(主に手続き系)は、できるだけnoteをはじめ文字情報にして残すようにしていましたが、もし今後リトアニアに行きたいけど分からない点がある、みたいな方がいましたら、お気軽に連絡ください。お役に立てれば幸いです。
(余談)ところで語学力、どうなった?
ここからは、個人的な趣味の範囲も含め、もうすこしトピックごとに深堀していきたいと思います。
まずはいきなり余談みたいな感じになりますが、リトアニア滞在をとおして語学力がどうなったか?という話。
リトアニアの公用語は、リトアニア語。若い人は英語を話せる率が高く、年齢が高くなるにつれてロシア語話者に変わります。
人にもよりますが、全体的に35歳前後で、突然英語を話す率が変わる印象。とはいえ、中心部やお店をやっている人に関しては、ある程度年齢がいっていても英語を話してくれることも。
とはいえ、わたしが住んでいたのは、中心部から徒歩30~40分くらいの静かな住宅街エリア。ザ・ソ連時代のアパート群では高齢者の1人暮らしも多く、スーパーや郵便局に行っても英語が通じない!という場面は当たり前でした。あ、ちなみに配達員も意思疎通レベルは微妙だったかな(これは若くてもそうだった)。
そんなわけで、リトアニアに来たばかりの頃こそ「リトアニア語がんばるぞ~」と思っていたわたし。現に、日本からリトアニア語のテキストを持ってきて、Mondlyという語学アプリでほぼ毎日学習し、現地語で書かれた文法書まで購入しました(読めないのでGoogle翻訳頼り)。
本来ならちゃんとレッスンも受けたかったのですが、どうしても対面がよかった。ロックダウン中はオンラインしか受け付けておらず「明けたらやろう」と思っていたら案外明けるまでに時間がかかってしまい、とうとう受ける機会を逃してしまったのでした。
いや、春先から始めるという手もあったのですが、そのころまでには「それっぽく意思疎通をとるスキル」なるものが身についてしまい、まあいっか!となってしまったというのが現状です。
それっぽく、というのは、まず挨拶はできる。買い物も、余計なことをきかれなければ問題なし(たとえば「会員カード持ってる?」とかくらいまでならOKだけど、商品説明とかはされても理解できない)。ちなみに、数字や曜日も微妙です。理解は出来なくもないが、時間がかかります。
でも、やっぱり現地で暮らしながら言葉を覚えるのって有効だなと個人的には思っています。だって買い物するとき、商品名とか野菜の種類とか、どうしても現地語でしか表記していないものは、無理やりにでも覚えるもの。
だし、実際にどういう感じで言葉が使われているのか?を知るには、やはりネイティブのシャワーを浴びるのが一番だから。同時に文化を知ることも出来るし。これは自分にとって大きなポイントです。
と、ここまでリトアニア語にフォーカスして綴ってきましたが、わたしは友人知人や大家さんとのやり取りに、英語を使っています。前提として「リトアニア語は難しい」という認識が現地の人にもあるようで、英語で話せるならそれでやりとりすればOKという感じ。
でも、じゃあ英語力が伸びたか?といわれると、ぶっちゃけよく分からないです。なんせ基本は日本のクライアントとコミュニケーションをとっていたので、実際に英語を話す機会は、そんなになかったというのが、いちばん大きな理由。
とはいえ、大家さんとか知り合いと話したり、仕事やプライベートの用事で問い合わせをしたりする場合は、ある程度の文章を組み立てられる。旅先で聞かなきゃいけないこととがあっても、そんなに苦ではない感じ。
そういう意味でいえば、ノルウェーに来たばかりの頃はそれすらできなかったし、今もできるだけ毎日英語のコンテンツを使ってインプットを続けていますが、それすらも楽しく感じられるようになったのは、わたしにとっては随分大きな進歩。
特にロックダウン期間、ほとんど人との接触がなかったのですが、インプットを続けたおかげか、むしろ前よりも英語のコミュニケーションを聴く分には理解力が増したような気すらします。インプットが多ければ多いほど、アウトプットの準備はできているということでもある(多分)。
あと、これはきっと入国前からそうだったもかもしれないのですが、そもそもわたしが語学を学ぶ理由って「新たな学びを得るため」もあるけど「暮らしのため」というのが結構大きい。なので、言語の種類にかかわらずおそらく語学学習目標のハードルがそもそも低いのです。
この前提を踏まえて言えば、改めて海外で生活してみて、自分の英語力、こんなもんねというのが、改めて認識できたのは、ちょっとよかったかもしれない。でも、これからも勉強は継続したいと思います。やっと英語楽しいって思えるようになったからね(今更)。
当初の目標はどれくらい達成できたのか
さて、リトアニアに来る前の自分が「できたらいいな~」と思っていたこと、どれくらいできたの?って話。
ここには、目標というよりも「リトアニアに行きたい理由」みたいなのが書かれていました。それによれば、
みたいな感じのようです。目標、これといってなかったみたい(おい)。
でも、ここでいう「今までの自分の経験・思考」というのは、noteの自己紹介文に書いているように「自然と人とが寄り添う暮らし方」が軸。
全体的に飲食業界の経歴長めですが、帽子屋・衣服店にいたこともあるし、有機・自然農の田畑を手伝っていたこともある。オフィスワークも一応ある。正社員?としての最終経歴は、宿のマネージャーだったりもする。だいぶ雑食感強いですが、ほとんど一貫して言えるのは、やはり「衣食住に興味がある」ということでしょうか。
どこで・どのように暮らすか?衣食住すべてのバランスを整え、お金の面ではない、豊かな暮らしを実現したい!というのが、当初からある思いです。
そういう意味でいえば、やはりリトアニアの魅力に引き込まれたきっかけとなった「自然が身近な暮らし方」や「手仕事」に触れたい!というのは、目標というか現地でやってみたいことのひとつ、といっていいでしょう。
このへんについて、実際どうだったか。
そもそも、わたしが以前経験したWWOOFでの経験は、やはりあくまでも田舎での話。しかも現代文明とのバランスをとったうえで成り立つ暮らし方だということ。
いま住んでいる首都Vilniusでは、その点にはどうしても限界がありました。前から聴いてはいたものの、どうしても観光で訪れると、見たいものを都合よく選んでしまうもの。実際に暮らしながら、目線をフラットにしていくことで、やはり「あ~町暮らしで”古きよき暮らし”を求めるのは限界があるな」と悟りました。
でも、じゃあもう伝統的な風習・暮らしが全くないのか?といえば、そんなことはない。おじいちゃんおばあちゃんなんかが、買い物かごに職人さん手編みの柳かごを携えている光景はしばしば目にする。マーケットに行けばリトアニア旬の食材が手に入るし、リトアニア政府が定める「Lithuanian Heritage」に基づいた伝統製法によってつくられた食・手仕事も、探せば実はけっこうある。
普段の買い物で見かけるものはもちろん、春~秋にかけて大きなイベントがあったりすると、会場周辺に露店が立ち並びます。リトアニア各地からやってきた職人さんが、冬の間につくりためた工芸品を売り出す光景も、よく目にしました。これはロックダウン期間中こそなかったけれど、最近また見るようになってうれしいです。
もっと「自然」にフォーカスすると、リトアニアは森が多い。首都に住んでいたってあちこちに森?林?があるので頑張れば歩いても行けるし、バスを使えば自然公園もたくさんある。自然享受権のおかげで、夏ならベリー、秋ならきのこ狩りを楽しめるのは、北欧の本当に良いところだと思います。
古くからある習慣だからこそ、ビジネス的な利権にとらわれず、国民みんなが自然の恵みにアクセスできるという点、とってもいいよね。個人的には、これだけでリトアニアに住みたい!と思えるものです(ノルウェーもそうだったけどね)。
この意味では、古くからある「自然と人とが寄り添う暮らし」を、存分に体験できたのではないでしょうか。ほとんどひとりでやってたけど、それは今までの滞在経験のおかげで知識があるのでできたことかもしれません。
全体的に「リトアニアでの暮らしを楽しむ」ということがしたかったわけですが、ロックダウンのおかげ(?)で、海外に行くという自体、とても少なかったのも事実(ウクライナだけ)。
ノルウェーのときこそ、平均すると2か月に1回海外へ出ていたわけですが、今回はもっと「リトアニアの暮らし」にフォーカスして楽しめたと思います。今までの滞在で行けなかった場所を訪れたりもして、かなり楽しんだのではないでしょうか。
あ、そうそう。将来的に生業(ビジネス的な意味ではない)にしたい草木染も、量感でいえばあんまりだけど、試したい種類はぼちぼちやりました。noteでの記録こそしていませんが、森へ足を運んだ際に色々な植物・きのこを持ち帰り、手持ちの糸や布を染めて「どんな色が出るかな?」という実験を楽しんだり。
これを通して、逆に日本じゃないと手に入らない身近な素材(藍や栗)という存在を改めて愛おしく思えたのも事実です。プラス、素材として麻のポテンシャルを(リネンを通して)再実感したので、日本でヘンプ栽培の規制がもっとゆるくなることを切に願います。
海外フリーランスという活動を通して
これも大事な視点。海外である程度長く生活するには、資金も必要ですからね。
先にも述べたとおり、わたしは現地で仕事探しをせず、一貫してフリーランス活動を行う選択をしました。といっても、万が一何かあればパートタイムを探す覚悟はあったけれど。
ところで、いつか書いたことがあるかもしれませんが、リトアニアは日本に比べて少々物価が安いです。ただし、この数年で爆上がりしている印象。
実際、わたしがワーホリの要項をチェックしていた1年ほどの間で、リトアニア最低賃金のラインが100ユーロくらい上がりました。
以前は、主にノルウェーから遊びに来ていたこともあり「なんでも!安い!!!」などと思っていましたが、今回来てみて「そうでもないかも」と思いました。
実際の職種でいえば、主に日本のクライアントさんを相手に、主にライター(+知り合いの農園さんのグラフィックデザイン)をしていました。たまに、買い付けをお願いされてやったりも。
ただ、もともと「稼ぐ」という概念があまりないわたしは、結局いまでもあんまり稼働時間が多くない。が、それも「リトアニアの暮らしを楽しむために、あまり仕事に没頭しすぎず、余白をある程度つくっておこう」という考えがあったのでそうしている、という次第です。
結局、はじめに用意していた貯金を使い切ることはなく、むしろイーブンな感じに終わっています。それくらい、リトアニアでの暮らしは工夫次第でなんとかなるようです。
あ、ちなみにお金の使い道としては、食材は90%くらいオーガニックを選んでいます。あと、特殊なものとしては、毛糸や布・手仕事品が多いかな。ちょっとした旅も何度かしたし、ウクライナ旅も行きました(リトアニアより全然物価が安かったけど)。
逆に全然服とか買ってないし、化粧品類も日焼け止めしか買わなかったかも。日用品もトイレットペーパーくらいしか購入していないので、ちょっと世俗的なアレとは異なるかもしれません。が、まあ普通にフリーランスでも暮らせましたよ、といっておきます。
とはいえ、はじめこそ仕事を見つけること自体に苦労したものの、なんだかんだライターの仕事にここまでコミットできたのは、今の暮らしあってのこと。だし、最終的に(今のところ)自分が書きたいことを中心に書かせてもらえている環境は本当にありがたいです。
もともと、自分が得意な分野・経験を活かせる話を中心に書いてきたのですが、執筆のためにさらなるリサーチを通して知ったことも多く、今までの思考をよりディープに深堀できた感じはある。
これが「今後の自分の生き方・ヴィジョンの再考」につながる部分もあり、ライターやっていてよかったな~と感じることのひとつでもあります。
ライターという仕事自体、どこにいてもできるという点から、一時期は「別にリトアニアでわざわざやらんでもいいのでは・・?」と葛藤することもありました。
が、現在リトアニア(海外・欧州エリア)にいるということ、今までも北欧滞在経験があるという点を強みにし、依頼をいただけることもあったので、わざわざリトアニアでフリーランスをするということ自体、決して無駄ではなかったとも、今では思っています。
とはいえ、わたしが多くの人に向けて、真に伝えたい大義名分は、やはり「自然と人との暮らし方」なので、これは日本に帰っても何らかの形で伝え続けたいところ。もちろん、文章という手段も使いながら。
同時に、母国で暮らすことで、より暮らし方の選択肢が増えるとも思っているので、ライター業とのバランスをとりつつ、もっと新しいことにチャレンジしたい。何より自分自身が「いいな」と思える暮らし方を体現しながら発信していきたい。心からそう思います。じゃないと説得力ないからね。
これからのこと
さて、リトアニアでの1年を振り返ったところで、最後に「これからどうする?」という展望を綴って終わりにしたいと思います。
・・・しかし、こんなにも「将来どうしよう」をぼんやりし続けている期間も、珍しくはある。実際、いまのところ明確に「職業としてこれやりたい!」というのは正直ありません。
ただいえることは、今まで以上に「暮らし」にフォーカスした、人と自然が寄り添う暮らし方の探求は、これからも続くということ。
特に、これまでのわたしが苦手としてきた「ひとつの拠点に長く身を置き、定点観測をすること」を、暮らしを通してやっていけたらなあ、と。季節仕事とか、コミュニティでの人付き合いとか、やっぱり長くいないと経験できないことも、あるものね。
あと、もうちょっと個人的なことでいえば、パーマカルチャーや植物療法のように「もっと学びたい!」と思えるものが明確になったような気もします。厳密にいうと、前から興味はあったのですが、今回の暮らしを通してより「大事!」「深めたい」と思えるテーマになったというか。
具体的に、これからどこに住み、どんなしごとをしながら暮らしていくのか?については、ほんと~~~うに何も決まっていません。が、どうなるかな~。どんな過程も楽しみながら、心おだやかに生きていきたいと思います。
リトアニア生活、あとちょっとですが、まだまだ書きたいこと・記録として残したいことはあるので、ご興味のある方はぜひお付き合いいただけますとうれしいです。よろしくね。
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リトアニア滞在記Vol.1
2020年〜2021年、ワーホリ制度を利用しリトアニアに滞在していました。そこで見たこと、体験したこと、感じたことなど。 ときどき思い出し…
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