つめこんで、揺さぶって、空っぽにする
前回の記事で、2021年の(もしくはやや長期の)目標をその場当たりみたいな感じで書きとめましたが、もうちょっと明確に「これかな」と思うことがあったのでシェアします。
それは「心の余白を大切にすること」。
日々の暮らしに追われて、ついスケジュールを詰め込みすぎてしまったり、やりたいことがたくさん出てきて熱中することって往往にしてあると思います。
でも、その時はそれでいいかもしれないけれど、やっぱり一つのことにエネルギーを注ぎすぎたり、インプットをある程度した後って「疲れ」として、燃焼・インプットした後の何かが澱のように心の底にたまってしまうことが、どうやらわたしにはあるようで。
そんな時、かつて働いていた和菓子屋での記憶や、デザインの話などを通して気が付いたことを、ふと思い返すことがあります。
なぜこの辺の記憶に(無意識に)フォーカスしてしまうかというと、どれもわたしの記憶の限りでは「余白・間を大事にする」ということにポイントを置いているから。
そしてそれらが、わたしの感覚的にピンとくるからだと思っています。
あとは、これを書いていて思い出したことでいえば、学生の頃所属していた写真部での記憶も、かなあ。
写真を撮るときにわたしが(これもまた無意識に)大切にしていることが「光を写すこと(直接的に、ではなく、隙間に光が差し込む感じとか、自然光とか。説明がむずかしいけれど)」だったり。
ある展示に向けて写真のタイトルを考えながらくまのプーさんの絵本を読んでいたとき、プーさんが「考えるって何?」みたいなことを誰かに聞いたときの「つめこんで、揺さぶって、空っぽにすること」という答えに、とても共感したり。
つめこんで、揺さぶって、空っぽにする、かあ。
確かにそう。知識をたくさん取り入れておしまい!だったら、最初のわたしが感じたような「疲れ」をも心にためているようなもの。
だからこそ、揺さぶって考えを巡らせる。そして、最後はアウトプットして、また次のインプットに向けて心に余白を空ける。
これが、生きていく中でどんどん新しい世界を見て、吸収し続けられるコツ、なんだと思います。
この「インプットとアウトプットのバランス」に関連したことでいえば、そういえばまだあまりシェアできていませんが、リトアニアに来てやっと言語学習に力を入れ始めています。学生ではないので、無理のない範囲でね。
そして今、長らくロックダウンが継続中の状況で思うのは「アウトプットしたいなあ」だったりする。
結局、たくさん動画を見たり音楽を聴いたりしてみても、それを使う機会が圧倒的に足りない。
今はオンラインという便利ツールがあるので、もっと活用すればいいのだろうけど、わたしは初対面の人と、しかも使い慣れない言語で気軽におしゃべりする気には、まだなれていません。
その代わり、買い物とかでは店員さんに必ず挨拶しています(それだけかよって感じですが、人と喋ることだけでもわたしにとっては大切!)。
心の余白を大切にする、という目標のメインの矛先ではないけれど、今のわたしの状況を俯瞰してみれば、語学習得においても大切な心がけになるんじゃないかな、と信じています。
あとは、今年に入って「しごとをしない日」を定期的に、意識して作ってみているところ。
まだまだ始めたばかりですが、こうして半ば強制的にエネルギーの矛先を変えたり、加減を調節することもまた大切かな、ということで。
かつてノルウェーで働いていたときは、退勤時間が来ると「はい、おしまいだよ〜」と同僚に強制終了させられていたっけ。
北欧の働き方を見習いたくて、フリーランスを試している部分もあるので、気張りすぎないようにしなくちゃね。
最近、雪が降って景色が白く明るくなってきて、内省の時間が増えたので、またちょっと考えごとをしてみました。
考えごともアウトプットが必要なのでね。こうやってつらつらと書きとめて、今の状況をシェアさせてもらいます。
今週末はマイナス20度近くなりそうだって言ってたけれど、どうなるかなあ。それも悪くないかな、って思っているけれど。
キンキンに冷えた空気をかんじながら、散歩をしたい気分だ。