見出し画像

◎死んだら土葬にしてほしい


ずしっ、ずしっ、と身体に土がかぶさっていく。
細かい砂が首の皮膚にあたってぱらぱらとはじけ、その小さな音が耳に届く。

首から下が完全に埋まり切ってしまうと、ずん、と押さえつけられるような深い重みにつつまれた。全身を等しい力でぐっと押さえつけられているようにも、重いあたたかさでじっとりと抱きしめられているようにも感じる。
そのままの体勢でいると、どこからともなく

どく、どく どく、どく

と大きな音が響いてきた。
それは、紛れもなくこの身体を走っている血液の音だった。
胸の辺りにどく、と聴こえたら、かぶさるようにしてどく、と脚へ流れる血液の音が続く。
全身に、きちんと血が巡っていることを身を持って知った。上半身と下半身で血流の送られる速さに差があることも、それを今まで知らずに生きていたことさえも。

身体中に駆ける真っ赤な液体、そのなんとも力強い音。
こんなにも間髪入れずに強く打たれているものだったなんて。
身体に響き渡る音を聴いていたら、そのうち全身がじんわりと熱くなってくるのがわかった。


少し頭を横にして目をやると、壁に「熱くなったら身体を少し動かしてください」と書いた張り紙がある。
そのとなりには「砂風呂で発汗して健康に」という文字が躍っていた。


この砂風呂は、砂自体がぽかぽかと一定の温度に保たれていて、温かい。
砂に埋まったままの指に力を入れて、大きく開いてみた。
さらさらさら、と指と指の間に粒が入り込んでくる感覚がある。
腕を動かすと、まずは骨が砂を掻き分け、続いてその周辺の肉が引っ張られるようにして周辺の砂のかたちを変えていく。

その感覚に集中していると、ふとある情景が浮かんだ。

森のなか、地中深くに根を張る木々たちが、より深く、より広く、より遠くを目指して成長していくところ。
今こうしている間にも、冷たい土はどんどんあたたかさを増して、春に向かって植物が伸び出しているんだろう。その姿は私たちの目には見えないけれど、一本一本力強く水分を引き上げている根っこには、いま土の中にいるこの身体のように、どくどくと激しい音が響いているはずだ。


生きている。
植物も動物も人間も、土を介して、今この瞬間も生きている。
そんなことを考えているうちに、自分の中にぽつ、と欲求が湧いた。


死んだら土葬にしてほしい。


そんなこと考えたこともなかったのに、ふと土の中でそう思った。
もし、このまま土の中で自分の身体が絶えたとしたら、その残骸を自然は活用してくれるだろうか。
まず、肉はまだできるだけあたたかいうちにクマに、オオカミに、カラスに食べてもらいたい。冷たくなった残骸や骨は、微生物に分解してもらって、栄養になって植物を肥やしたい。


そう考えると、人間はきっと、最終的に何にだってなれるのではないか。
死んだ後に、動物にも、植物にも、果ては地球の一部にもなれるなんて、こんな幸せなことはないんじゃないだろうか。


「はーい、時間来ましたよ~」
気が付くと、砂匠さんが来て砂をざくざくと降ろし始めていた。
じっとりと汗をかいた肌から、粒がぽろぽろ落ちていく。
土の中から急に外気にあたった肌は、びっくりするほど気持ちがいい。しかし、重しがなくなったと同時にどこか心許ない感じもする。土から離れて、ずいぶん遠くまできてしまったというような、どこか切ない気持ちがある。


「はい、これ飲んでくださいね」
手渡された水を口に含むと、そのままするりと胃の底まで落ちた。
つめたい感覚が全身にじわ~っと広がるのを感じる。


その生々しい感覚に、さっきの情景はすっと奥に抜けてしまう。

「ああ、この身体はまだまだ生きそうだな」と思って、土の上に又しずかに立ち上がった。




(もしもしからだ ⑧)