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どこだれ㉚シャーマンと話す


シャーマンという存在が気になっていた。シャーマンとは、ざっくり言うと「死者」や「神様」を自分の身体におろしてきて、彼らの言葉を伝える人々のことだ。
恐山に行ったことでイタコを取り巻く状況や口寄せの現場を知ることができたものの、その人たち自身についてはまだ何も知らない。どういったきっかけで、どんな思いでこの道に進んだのか。いつか話を聞けたらいいなと思っていたら、その機会は案外早くやってきた。

先日滞在した先で、たまたま同日に宿泊する人が自らを「スピリチュアル系です」と言っていて、よくよく聞くとシャーマンだった。翌朝、時間をもらって少し話すことになった。

同年代の彼女は、数年前まで普通に社会人として働いていた。しかし、年齢を重ねるにつれ職場の立場が変わり、いわゆる「プレイヤー」から「指導者」になったのをきっかけに、後輩たちによりわかりやすく教えるために心理学の勉強を始めたという。ところが、心の動きを勉強するにつれて、自分の不調や、これまでに感じていた違和感を無視できなくなっていく。
「自分の身に起きていることが不可解すぎて、でもこれを言うと頭おかしい人に見られるだろうなと思って他人に言えないようなことが増えていって」。
そしてとうとう、決定的な出来事があった。町を歩いていた時に、突然、頭の中に男性の声が響いたのだ。

「器になれ」

その一言で、ものすごい絶望と、一方でものすごい安堵を感じたという。そうして、「器になることを受け入れようと思い」、これまでの経歴を捨ててこの道に入った。
丁度その頃、自分の母方のルーツはユタであったと家族に教わったという。しかし曾祖母がユタであった故にひどい死に方をしたことがあり、「もうこんな仕事は絶対にやらない」と、以降家の中ではその事実を伏せていた。

色々なことが重なるのだなあ、と不思議な気持ちで聞いていた。彼女はしばしば「何かが入ってくる」という表現をした。それは時や場所を選ばないそうで、「あ、くる」と思ったら自分の中に何者かがが入り込む。時によって死者だったり神様だったり生霊だったりする。しばらく対話をするといずれ去るのだが、一回一回ものすごい体力を使うので、「ひらく」ことに対してコントロールする練習をしなければならない。
そういう存在と話す中で、現代の様々な問題の根底に「自己犠牲の精神」があるのではと気づいたという。ある質問をした時の答えが印象的だった。

「例えば死んでいる霊と生霊、どっちの方が話しやすいですか」。
すると「死んでいる霊かな」と言う。「死んだ霊はすごく素直で、悲しいとか、寂しいとかを正直に言う。でも生霊は、なかなか素直にならない。肉体があるからなのか、見栄なのか、しがらみが多いんだと思う」。
そして彼女は、いずれ生きている人が正しく自分のエネルギーを使えるように、悩みのある人に話が出来る場をつくりたいと話した。

興味深かったのは、彼女が常に「スキルとか資格とかと一緒で、どのツールもどの人間がどう使うかが大切」というスタンスで話していたことだった。「中にはよくない霊能者もいて、自分に依存させるように誘導したり、お金儲けをするために販路を広げたりしている。でも、私はそうじゃなくて、自分の技術を高めて、ただ『こういうのやってます』と鎮座しておく姿勢でやろうと思って」。

それは世間一般に言われる“スピリチュアル”のイメージとは少し違った。例えば「自分は手先が器用だったので、職人になることにしました」というような冷静な選択に思えた。シャーマンとて、始まりはある種ほかの職業となにも変わらないのかもしれない。
いつか希望の通りになるといいですね、と伝え、また会いましょうと言って別れた。


後日、このことを友人に話した時のことだった。

「ええ、それって本当なの?」

その言葉で、ふっと自分の中の何かが切れた。そして、もうそれ以降このことに関して話そうと言う気が一切起きなくなった。「その尺度で測っている人とはこの話題は長く話せないな」と直感的に思ったということである。

断っておくと、私自身はいわゆる「霊感」と言われるものは全くない。見えないし、聞こえない。自分にはないので、本当かどうかは正直に言うとわからない。しかし、そういう体験をする人が一定数いることは知っている。こういう体験を「信じてもらえないだろうな」と思いながら話さない人がいることも知っている。故に、それでも話してみようと口を開く人がいるなら、私は聞きたいと思う。その話を信じるか否かはわからないが、その人のことは信じて聞きたいと思う。勿論その話を使って人をコントロールしようとしたり、お金を巻き上げようとするのなら話は別だが。

以前、何かの時にも同じようなことを感じたような...と思い出すと、それはある宗教の信者の人と話した時のことだった。その時のことは次回書いてみようと思う。