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どこだれ㉙火渡り神事でもらった言葉


まったくそんな気はなかったのに、人の紹介で次に次にと訪ねて行った先に、思わぬ行事に巡り合ったりする。

湯殿山神社の「火渡り神事」にあたったのもそんな具合だった。
そもそもは山形市内から湯殿山へ向かっていたのだが、途中で「田麦俣」の看板が目に入った。田麦俣...?それは、少し前にみんぱくのビデオテークにあった映像で見た、集落の名前だった。

これも何かの縁かと思い、立ち寄る。丁度屋根の修理をしている男性がいて、聞くとここに住んでいる人だった。そこで1時間ほど話し込む。山深いこの地域は、湯殿山への参拝者を泊めることで豊かになった集落だ。昔は養蚕も盛んで道具も沢山残されているという。資料を一通り見終わる頃には、当初予定していた湯殿山は閉まる時間になっていた。帰り際に「俺の親戚が大井沢の伝承館にいる」という話になり、じゃあせっかくだからと大井沢に向かった。親戚の人はたまたまその日出勤していて、急に来た(しかも「数時間前に初めてあなたの親戚に会いました」という怪しさを伴った)来訪者を気さくに迎え、施設の閉館時間まで色々と説明してくれた。すると別れ際に「今日は一年に一度の火渡り神事の日ですよ」と言う。
そう言えば道に赤い提灯がずらっと並んでいた。「山伏が火を渡って、その後に一般の人も歩くんですよ。熱いとか熱くないとかみんな色々言ってて。一回渡ったら小さなお札みたいなのを貰えて、何年かでコンプリートできるみたい」。

今朝までは名前も知らなかった集落で、一年に一度の祭りに当たるとはどういう偶然か。これで見ずに帰るという選択肢はない。開始時間まで温泉に入り、日が落ちかけた頃に神社へ向かった。参道から長い階段上までずらっと赤い提灯が灯っていてなんとも幻想的だ。なぜか会場では「あはがり(新日本風土記のテーマソング)」が流れていて、あまりにもそれっぽい雰囲気に笑ってしまった。

途中、山門の受付所で祈願料500円を渡して護摩木を授かる。ここに願い事を書き、後に山伏に渡すのだそうだ。見ると広場にはもう人が集まっていて、四角く結界が貼られた中で山伏たちがせわしく動いて準備を整えていた。お供え物を置いたり、何かを注いだりしている。ふっと匂いが漂ってきたそれは、どうやら灯油のようだ。
このために来たのだろう、よく見える場所には大きなカメラを持った人が脚立の上に座って陣取っている。まわりには老若男女が満遍なくいて、ツアーだろうか、外国人観光客の姿も見える。

辺りが暗くなる頃、神事が始まった。山伏は10名おり、解説によるとそれぞれ異なる場所から集まっているという。各人が吹く法螺貝の重い音が、日が落ちた山々に響き渡った。この音ならきっと山中の鹿も熊も起きるだろう、と思う。吹く前と吹いた後に口のところをぽん、ぽんと手のひらで叩く。その時にでる「ぺんぺん」という音を可愛らしく感じた。
山伏それぞれに役割が振り分けられていて、お経を読む者、法螺貝を響かせる者、剣を振る者などが順に呼ばれ、「承って候」と言ってから1人ずつ出て技を披露する。40分ほどそれが続いた後、ついに所々に盛られていた葉に火が付けられる。ぱちぱちと燃えるそれは、離れた場所にいても熱さがわかるほどだ。
般若心経を何度も何度も繰り返しながら、火が強まり、弱まりする様子を見る。先程記入した護摩木を山伏に渡すと、山伏たちはそこに書いてある文字を読んで火の中に差し入れた。祈祷してもらっているのでありがたさはあるものの、暗い中で火を頼りに文字を読むのは大変そうで、目をこらす姿は老眼の者のそれで少しおかしみがあった。
すべての護摩木を読み終わり、火が弱まってくると、数人の山伏が燃える木々を手持ちの棒でならしていく。まだ所々火が燻っている中を、1人の山伏が裸足で歩いて渡った。周りから「おお」と声が上がる。続いて1人、また1人と全ての山伏が歩いた後、とうとう一般の人々が歩く番になった。待ってましたとばかりに靴と靴下を脱いで、一方向に群がる人々。人が固まっている辺りに近づいて行くと、先にいくにつれきちんと一列になっていた。後ろを向くと暗闇の中に沢山の靴下と靴がちらほら見えて少し不気味だ。我先にと並ぶ者、不安そうに続く者、先に渡る人たちを遠目に眺める者。火に照らされて見え隠れする表情たちを見詰めていると、ふと「これが地獄の審判かしら」と思った。
順番に並んで何かを待っている様子は、あの世へ渡る儀式のようだ。

いつのまにか自分の番がやってきた。火渡りの入り口の左右に山伏が立っている。
前の人が、ぱっと歩き出した。
「はい」と呼ばれて入り口に立つと、山伏の手が背中に添えられた。前の人が渡り終える。よし、次は自分の番だ。
そう思った時、背中に添えられた手にぐっと力が入った。とん、と押されると同時に、後ろから威勢のいい声が響いた。

「行ってらっしゃい!」

声が、背中越しに胸に届いた。
とん、とん、とんと歩を進める。火を宿していた木々はすっかり静まって、熱さは感じない。気づけばあっという間に渡り終わって、向こう側にいた山伏に小さなお札を貰った。

「火渡りの證」と書かれたその札の裏には、「健康と勇気の証 所願成就を祈る」とあった。

振り返ると、これから渡る人々が緊張した表情で立っている。あそこから、あっという間にこちらまで来ていた。もうあの頃の気持ちは思い出せない。本当に直ぐのことだった。もしかしたら、と思う。もしかしたら、死ぬ時もきっと、こんな感じなのではないか。
胸に残ったのはただひとつ、あの力強い声だった。

「行ってらっしゃい!」

もし自分が死ぬ前に、これから死ぬとわかったとしたら、きっとああいう風に送り出して欲しい。相変わらず長い列が続く火渡りを見ながら、心の底からそう思った。