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どこだれ⑧聞き書き作品のプライバシー


どこかの土地に行って、そこに住んでいる人に話を聞き、聞いたエピソードを基に作品をつくることを続けている。最終的にどのような形になるのかは、演劇だったり展示だったりと都度異なるのだけど、毎回意識しているのは「複数人の証言を混ぜて一人の人物の言葉にする」ということだ。
例えば、農家の方のエピソードを書くときは、誰かひとりの農業経験を基にしながら、奥さんの証言だったり、いつか別の機会に聞いた農具の作り方だったり、後から調べたその土地の昔話を混ぜ込む。結果、できたものを本人が見ても、「これってもしかして私がしゃべったことかな?」と確認するくらいに直接的にはわからない作品になっている。あるいは本人さえ、それが自分の話したエピソードだと気づいていない場合もある。
あくまで「学者の聞き書きの調査」ではなく「アーティストの作品制作」として現場に入っているので、この創作の過程は必要だと今になっては思える。しかし、かつては「勝手に話を変えていることになるのではないか」と罪悪感を持った時期もあった。なぜそれが変化したのかというと、数年前に苦い経験があったからだ。

その地域には、昔から大切に行われてきた催しがあった。その催しに関わっている色々な人に話を聞いているなかで、最高齢の方と話す機会に恵まれた。生まれてから90年以上その地域に暮らしている人で、いわばその土地の生き証人のような役割をしている。自己紹介をすると、「あらあ、これは、取材ということですか」と言う。記者ではないので取材じゃないのですが、と話すと「大した話はできませんが、私の見聞きしてきたことなら話せることは話しましょう。といっても、話せないことの方が多くなってしまいましたがね」と言う。はっはっはと笑う声は快活で、とてもお元気だった。
地域の昔の様子や、その人自身の人生の変遷をたくさん聞かせて頂いた。外から人が来てこのような話を聞かれるのは珍しいそうで、昔を思い出しては「懐かしいなあ」と楽しそうに目を細めている。その後、話題は催しの中の会のことに移った。催しの存続のためには、必要不可欠な会がいくつかある。他の地域には当たり前に見られるその集まりだが、この地域は数年前から途絶えてしまったという。
「どうしてここの集まりはなくなってしまったんですか?」
そう聞くと、自虐的にふっと笑ったあと、悲しそうな目で言った。
「うーん、まあ、話してもいいんだけど、でもねえ、うーん…。こればっかりはなあ」。随分迷いながら、それでも話し出せない様子だった。高齢化が進む地域だ、おそらく会を引っ張って来た誰かが亡くなったのかもしれない。体力の限界で、続けられなくなったのかもしれない。いくつかの想像はできた。何か言いたげだが話しにくそうな様子に、「無理にお話いただかなくてもいいですよ。ただ少し興味が湧いただけなので」と付け加える。「そうか、それじゃあ、こればっかりは話せなくて、ごめんね」と言うので、気にしないでください、と次の話題に移った。
その後2時間ほど話して「そろそろお開きかな」という雰囲気になったとき、その人が突然「さっきの話なんだけど…」と、会がなくなってしまった理由を話し始めた。それは、思っていたようなことではなかった。会のメンバーが集まった飲みの席で、飲み過ぎた数人で小競り合いが起きてしまい、怒ったリーダーが「もうこんな会解散だ!」と言って本当に解散させてしまったのだと言う。喧嘩の内容も郷土の自慢が発端になったようなもので、私はなんだか笑ってしまった。ものすごく人間らしいな、と思ったのだ。聞きながら私が笑うので、その人も最後は話しながら笑っていた。「いやあ、本当にしょうもないことで。でも大変だったんですよ」。その言葉に、「わかる気がします」と答える。いつだって喧嘩は些細なことが発端だ。それでも、狭い地域では人間関係も濃く、それが決定的な決裂に繋がってしまうのだろう。
「長い間お話聞かせていただいてありがとうございました」。そう言って家を出ると、「またおいで」と手を振って見送ってくれた。

数日後、自宅に帰って作業をしていると、知らない番号から電話がかかって来た。なんだろうと思い出ると、数日前にお話を聞かせてもらったその人だった。どうしましたか、と聞くと「先日私が話した会のことあったでしょう。あれ、書かないでほしいんです」。単刀直入に言った。実際書くつもりはなかったので、「大丈夫ですよ、あれは書かないようにしますよ」と答えた。しかしその後も「私が言ったと広まるとね、色々とまずいから」と繰り返す。はい、大丈夫です、決して書かないようにお約束します、と何度も話していたら、そのうち納得してもらえたようだった。そして最後、「頼みますね」と言った後、その人はつぶやいた。「あれを私が話したと知れたら、私はこの土地に住めなくなってしまう」。

その言葉が、電話を切ったあとも、鉛のようにずんと心の底に沈んだ。時計を見ると、電話がかかって来たのは夜の22時だ。その人はいつも20時に眠ると言っていたから、よほど思い詰めて電話をかけてきたのだろう。

私は、この土地に、住めなくなってしまう。
その言葉は、自分の覚悟していた範囲をはるかに超えて、重く重く響いた。「話を聞かせてもらう」。その行為の中にある暴力性をつよく意識する。それだけ大変なことを教えてもらっているのだと感じ、作品をつくる上で話を聞かせてもらった人の物語を扱う以上、よくよく肝に銘じておかなければと思った。

そして意識するようになった「複数人の証言を混ぜて一人の人物の言葉にする」という手法だが、最近不思議なこともあった。
「ああこれ、私が言ったことでしょう」。
作品の中のテキストを見て、ある人が言った。しかし話の元になったのは、その人の友人に聞いた内容だ。そういえば、人間は話しているうちに考え方をいつの間にか共有していることがある。そもそも「これが自分の発言だ」と言い切れる言葉なんて本当はないのかもと思う。そう考えると、作品だからと言って何一つ特別なことはなくて、ひとは常日頃から、一人で複数の証言を共有しているものなのかもしれない。