どこだれ㉒ 知らない人に話かけること
新潟での滞在が続いている。最近気づいたのは、道を聞いても、バス乗り場を聞いても新潟ではなかなか会話が続かないということだ。これまでの場所では、最初の質問のあとに「どこから来たの?」と聞いてもらったり、「運賃って先払いですか?」と尋ねることができる雰囲気があったりでしばらく会話ができたのだが、今回はそもそも答えてくれた人がスマホを見てしまったり、他の方を向いてしまうことが多く、続きを話すタイミングをなかなか掴めない。新潟の人曰く「新潟の人はそう言われるとシャイかもしれない」という。冬の間は特にどんよりした気候が続くので、あまり社交的になる雰囲気はないのだそうだ。
そんな中でも、「いや、これは新潟全体のことではないのかも」と思う出来事があった。初めて高田に降り立った時のこと。駅から少し歩いたところの交差点で、赤信号の間地図をくるくる回しながら方向を確かめていた。すると隣で信号待ちをしていた男性と目が合った。「それ(地図)、どこでもらえるの?」と聞かれたので、「駅前の観光案内所です」と答える。まだ話してもいいような雰囲気が生まれたので、「この辺りでベンチとかありませんか?おにぎり食べたくて」と言うと「ううーん、ベンチー?ないなあ」と一緒に地図を見ながらあれこれ話をしてくれた。高田の歴史と雪の大変さを聞き、子どもの頃の栄えていた町の様子を聞き、身の上話なんかを始めると、なんと同じ大学の大先輩だということがわかった。信号が何度も青になり、赤になった。青になっても無言になってもお互い何となくまだそこから離れず、次の言葉を待った。しかし、だからといって特にどうということもなく、「それじゃあ」と最後はあっけなく別れた。時間にすると30分程だっただろうか。この時に高田の町の疑問を一通り聞けたことで、その後の理解がうんと進み、はやり偶然に出会った方と話が弾むことの重要性をひしひしと感じた。
人に話を聞いて土地の脚本を書く、というつくりかたを始めてから、結構な頻度で「知らない人に話を聞くって、どうやるの?」と聞かれる。「え、歩いている人とか、目があった人に話しかけます」と言うと、「よくやるねえ」とか「怖くないの?」と返ってくる。「そうですねえ」と返しつつ、実のところ、その言葉を聞くと、昔のあまりよくない記憶が蘇ることがある。
それは、新卒で働いていた広告会社の日々のことだ。営業職だったのだが、新人はまず飛び込み営業から始めることになっていた。「1日7件新規開拓」というノルマを課せられており、得意先がない新人にとっては、これは「1日7人知らない人に声をかける」という試練だった。もちろんものすごく嫌だったが、目標金額の達成のためには自分で飛び込んで開拓するしかない。
そんな日々を過ごすにつれ、徐々に怖いものが増えていった。
最初は、店の扉が怖くなった。その扉を開けて挨拶をした後の、相手の面倒くさそうな顔や言葉を想像して足がすくむ。
次に、会社の受付のインターフォンが怖くなった。会社名と目的を告げた途端、声色が急変してぞんざいに扱われるのがつらかった。
そして、とうとう知らない人に話しかけるのが怖くなった。それは営業と関係のない場面にも及んだ。休みの日に喫茶店で注文をする時でさえも、うっすらと相手への恐怖がにじむ。
決定的な出来事があった。
広告企画のために寺院をひたすら回っていた時、あるお寺の受付で、たまたま来客が途切れたタイミングで係の方に声をかけた。
「はい。1名様ですか?」
私を客だと思っているその人は、にこやかに笑顔を向けてそう言った。ところが、次に私が言った「あの、私〇〇会社の〇〇と言う者で、ただいまご挨拶に回っておりまして、担当者様にご案内だけでもさせていただけないかと思い…」という言葉で、みるみる態度が急変した。私から目をそらし、大きなため息をつきながら、手元のパンフレットに紙を挟み込む作業を始めた。声のトーンを落とし、隣に座っていたもう一人の受付の人に「営業やて」と言った。相手の人もこちらに目を向けることなく「へえー」と言った。その瞬間、私は二人の目の前からいないものになった。
すでに差し出してしまっていた、名刺を持った手をどうすればいいかわからない。すると一人が「名刺」と言い、もう一人が「いらんわ」と返した。その言葉さえ、私に向けられた声量ではなかった。二人だけで会話が完結していた。
なぜ営業だとわかった瞬間、こんなにも冷たい態度になるのか。頭が真っ白になったまま次の言葉を探していると、突然一人が「はい、次の方どうぞー!」と私の後ろに声をかけた。
お客さんが来たのなら邪魔になる。退散せねばと振り返ると、後ろには誰もいなかった。メッセージは明らかだった。仕方がないので、来た道を名刺を手に握ったまま帰った。涙が出てきて止まらなかった。
この経験から、私は「人は他人に対してどこまでも冷淡になれる」ということを知った。もちろん、この二人は、きっと私の前にたくさんの営業から嫌な気持ちにさせられてきたのだろう。その恨みが募って、ああいった態度になっているのだということは想像できた。想像できるのだけど、それを冷静に判断して回復できる余裕を、当時は持ち合わせていなかった。
しかし、このまま人間不信になって終わりそうだなと思った時に、助けてくれたのもまた見知らぬ人だった。
寺院企画で日々疲弊していた頃に、投げやりな気持ちで挨拶に行った尼寺で、ある尼の方が言った。「お庭が綺麗だから見て行ったら」。
私だって、この企画書が魅力的なものではないことは気づいていた。しかしそれが仕事だと言われれば差し出すしかない。その気持ちを察していたんだろう。その人は黙って企画書と名刺を受け取り、まず庭を見ることを勧めてくれた。
パンプスを脱いで丁寧に手入れされたしずかな庭を見ながら、久しぶりにこんなに穏やかな場所に来たなと思った。心の底から「お寺ってなんてありがたい場所なんだろう」と感じた。そして、「このお寺のためになるようなものを案内できる営業になりたい」と思ったのだった。
作品づくりのために見知らぬ人に話しかける。言葉を返してくれて、会話が弾んで、たまに身の上話も聞かせてもらえるなんて。そして、それを喜んでくれる人がいるなんて。その事実に、未だに毎回新鮮に驚く。今の状況を、当時の自分が見たらなんというだろうか。
これは長い長いリハビリなのだと思う。人は人に対して信じられないほど冷酷になれる。しかし、その反対に、信じられないほどに優しくなれることもあるのだ。そんな事実を、少しずつ確かめていきたいと思っている。