正欲
※原作小説、映画本編、『生殖記』の内容に触れています。
※マイノリティ、マジョリティの話題について話しています。勉強不足のところもあるだろうし、もしかしたら読んで不快になってしまう人もいるかもしれません。それでも読んでいいよという方は読んでください。
映画『正欲』を観た。原作はかなり前に読んでいて、細かいところはあまり覚えていなかったけど、ぶん殴られたような衝撃を受けたことだけは鮮明に覚えていた。
映画で印象に残っているセリフがある。
噴水や滝など、水に性的興奮をおぼえる性癖を持つ夏月が、主人公である検事の啓喜に向けて言ったセリフである。「明日生きたい人のふりをして」「他の人にバレないように生きてきた」夏月は、かつての同級生で同じ性的嗜好をもつ佳道と偽装夫婦となり、「今までは地球に留学しにきているような感覚」だったが、やっと「自分が地球の真ん中にいられた」ような感覚を得る。
自分が「普通」だと固く信じ、水に性的興奮をおぼえる人たちがいると信じられない啓喜を見ていて、自分が持っている思想・価値観は、夏月たちのように「明日生きたい人のふりをして」「他の人にバレないように」生きている人たちを追い詰めるようなものかもしれない、と怖くなった。
多様性が叫ばれている現代を生きているから、自分が持っている価値観が絶対ではないことは理解しているつもりだ。しかし、わたしが知っている世界はあまりにも狭く、世界には自分が思いもよらないような「普通」を持つ人が星の数ほどいるだろう。
朝井リョウさんの最新作、『生殖記』を最近読んだが、その主人公もセクシャリティを隠して、社会に疑問を持ちつつ「この世界で生きていくために」「他の人にバレないように」生きていた。
「どう生きよう」とは考えても、「この世界で生きていくために」なんて考えたこともなかった。異性愛者であり、留学経験もなくずっと日本で生きてきた自分は、生まれてから一度も自分をマイノリティだと思ったことはない。でもそれは、たまたまであり、たまたま水に性的興奮をおぼえるタイプだった、たまたまゲイだった、というだけで、まるで綱渡りをするように日々を生きている人がいる。
この映画を見ていて、何回も「理解」という言葉が出てきた。「理解できない」「多様性を理解しよう」そう言っているのは大体マジョリティ側だ。理解理解というが、わたしは想像はできても、100%他人の気持ちを理解することはできないと思っている。
大事なのは、理解しようと想像すること、わからなくても考え続けることだとこの映画を見て感じた。「正欲」というタイトルがついているが、何が正しいかは誰にもわからない。正しいものなんてないとわたしは思う。だから不安だし、自分と違う人に対して不寛容になってしまうのだろう。正解があればそれに従えばいいけど、正解はないのだ。自分の価値観が絶対ではないことを自覚しつつ、考え続けながら生きていかなければいけないと感じた。