初めてのアパートとわたしの帰る場所
大学生になったわたしは家族に反発ばかりしていた。
厳しすぎて窮屈な家庭環境や母親の偏った考え方が嫌いで苦しかった。
だけど”家族”という枠組みは当時のわたしにとって絶対逃げられない存在で、まるで自分だけ牢獄の檻の中に閉じ込められているような気分。
幼いわたしはまるで悲劇のヒロインだから、「ちゃんと早い時間に帰って来なさい」と言われれば言われるほど、彼氏や友達の家に入りびたり、自然な流れで帰りが遅い日を徐々に増やしていき、「どうせ大学の日程なんて親も知らないし」と強気になっていた。外泊を当たり前の風潮として作り上げた。そんな風潮知らないのに。
そのくせ親戚の前では”良い子”を演じ切る。見た目が地味な分、たちの悪いとんだ不良娘なのかもしれない、と罪悪感に見舞われた。
そのため友人の家で過ごしていて”もっと一緒にいたいのにな”と思いながらも長い時間をかけて親の理想像でしかない”良い子”が頭の中に住み着いていて結局連泊はできない。そんなことで一時的に逃げても後に、グチグチ言われるのが嫌だったのも理由のひとつ。そこで親不孝なわたしはあることを思いついた。
夏休みにある"教育実習”を理由にして、大学の近くにアパートを借りさせてもらおう!本当は決して通えない距離ではなかったが、実際に例年そうしている先輩もいるという心強いデータのもと、親も納得してくれた。
わたしが”勉強”の為に選んだ手段だから協力してくれたこと。それだけが理由なのは分かっていたけれど、その親心を利用して、わたしは初めて”実家”を出た。
念願のアパート暮らしが始まり、もちろん実習も勉強も頑張った。実家から1時間圏内だったが、夜中に友達とラーメン食べに行けること、突然集まって散歩して同じ話を何度もする何気ない時間。凄く楽しかった。
実家暮らしではこの生活は味わえなかったから、最高すぎた。逆に20歳にもなってどうしてこんな世界を知らずにここまで生きていたのだろう。当時の恋人とは付き合いも3年程経っていたが、わたしが実家を出たおかげで殆ど毎日会えるようになった。
バイトで夜遅くてもわたしの6畳ワンルームのアパートに帰ってきてくれた。「ただいま」と言って抱きしめてくれた。
そんな日々を数か月過ごし、心配性な母からのショートメールは毎日何通もくるが2回に1回はスルーしていた。相変わらず生意気なわたし。親の心子知らず とはまさにこのこと。
母からのクレームがあったのか、素直な気持ちだったのか分からないけれど、一度だけ父から連絡がきたことがある。「風邪とかひいていないか?たまには帰って来てね」とガラケーも使いこなせず、普段携帯を”不携帯”な父からのメール。
あのときわたし、ちゃんと返信したのかな。
もう思い出せない。
アパート暮らしを始めて約半年過ぎた頃。
突然、父の余命宣告を母から聞いた。
「お父さん、後2か月もつか分からない」
数年前に癌を患った父だが、変わらず仕事に行っていたし、とっくに治ったのだとばかり思っていた。
そんなの知ってたらもっと実家に帰るようにしたし、アパートも借りたいなんて言わなかったのに。母はこのわがままな娘を一体いくつだと思って、父のことを話してくれなかったのだろう。それももう後の祭り。
凄く悔しかったし、自分の信用の無さとその現状を作り上げていた自分に腹が立った。
そしてお医者さんの言った余命宣告より少しだけ長く生きてくれたが、あっという間にお父さんは天国へいった。
身内が亡くなったら誰になんて連絡をすれば良いのか、全然分からなくてとりあえず亡くなった日に恋人に「お父さん亡くなったかも」と連絡した気がする。”亡くなったかも”なんて曖昧な表現を自分の人生で使うとは思ってもみなかった。
優しい恋人や友人は何もできないわたしの代わりに勝手に連絡を取り合ってお葬式にも来てくれた。3年以上経った今でも、思い出すと涙が止まらなくなる。
それから数日間、ばたばたしてやるべきことも沢山あったと思うけれど、持ち帰った遺骨の前でとにかく毎日泣いた。そうしていると、いつの間にか夜になったし、いつのまにか朝はきていた。
その間、携帯を触るのも億劫になっていたが、恋人は毎日LINEを送ってくれた。
「おはよう。今日は良い天気やね。空が綺麗だったよー!」
「今日は風が気持ちよかったよ。明日も晴れたら良いね!おやすみ」
って。毎日毎日。返事も返さないのに。
恋人の思いやりに何度救われたことか。未だに胸が締め付けられる。
数週間後、とりあえず一旦アパートに帰ることにした。わたしは心配かけたお詫びにご飯を作っていた。
恋人も帰ってきた。背中越しに聴こえたいつもの穏やかな声。
でも少し自信なさそうな愛おしい「ただいま」
振り向こうとしたけど、安心感やさみしさや悲しみが一気に迫ってきて涙が出てきたから振り向くのをやめた。
次の瞬間、後ろから優しくハグをして
「もう帰ってこないかと思った~。帰って来てくれて良かった~。」
って恋人の方が泣き出した。不安な気持ちは同じだったのか。
何で先に泣くのよ!って笑いながら、わたしも我慢せずに泣いた。
わたしにもちゃんと”帰る場所”を作ってくれた。
お父さん、生意気な娘でごめんね。
でも初めての一人暮らし、わるくなかったよ。
誰かが待ってくれている”場所”は世界一あたたかい。
今度はいつかわたしが誰かの”帰る場所”になれたらいいな。