摂氏零度の愛たち ウォン・カーウァイ 4K
香港の映画監督ウォン・カーウァイ(王家衛)。
彼の代表作のひとつ『花様年華』(2000)の制作20周年を記念し、4Kレストアプロジェクトが始動。
日本でも5本の作品が劇場公開された。
ウォン・カーウァイの作品は今まで1本も観たことがなく前から気になっていたので、この機会にスクリーンで観ることができて良かった。
まず観て驚いたのは、その映像の美しさ。
そして俳優たちの輝きである。
今でも香港を代表するスター達が、一瞬一瞬の命の煌めきを見せている。
これは全ての欧米の作品がそうという訳ではないのだが、例えばアジア系の俳優が欧米の作品に出演した際、その作品はヘアメイク、そしてライティングを欧米の俳優(主に白人)向けに合わせているので、そうなると当然アジア系は肌の色、骨格も異なることから彼、彼女たちにとっての「一番美しい自分」で撮ってもらえないことが多い。ひどい場合は顔色が悪かったり、やつれているように見えることも。
しかしそこはさすがアジア人が撮ったアジア人たちの映画というべきなのか、カーウァイの作品に出ている人々はみな、他の作品にはない艶やかさで輝きを放っているように見える。
当時、世界で一番アジア人を美しく撮ることができたのは、おそらくウォン・カーウァイなのだろう。
人物だけでなく、香港の街も作品の見どころである。
湿度が高そうな艶っぽい景色は、思わずその世界に入って歩きたくなるし、普段住んでいるとなかなか分からないが、改めてアジアの魅力再発見にもなる。
当時の香港の景色を知ることができるのも魅力だ。
ここからは、各作品について触れていく。
カーウァイの作品は物語の内容や結末を知って観ると面白さが半減するタイプでも、ネタバレ厳禁のどんでん返しがあるタイプでもないが、一応少しずつ話の中身を書いていくので要注意。
恋する惑星
警官と麻薬密売人の女。
もうひとりの警官と飲食店で働く女。
二組の男女の恋愛(のような何か?)模様が、鮮やかな映像と独特の演出で描かれる。
個人的には前半の話の方が好き。
フィルム・ノワール色が強いエピソードで画面全体に危険な香りがするのだが、そんな中で「パイナップルは好き?」と様々な言語で無邪気に訊ねる金城武が印象的。
後半の話では、フェイ・ウォン演じるフェイがひょんなことから想いを寄せる警官の部屋の鍵を入手したことで彼の部屋に侵入、さらには勝手に物を買い込み大胆にも模様替えをし始めるというなかなか衝撃的な話。どんどん加速していく彼女のエキセントリックな行動には意表を突かれる。
警官がいまいち自分の部屋の変化に気付いていないところも可笑しい。
相当おかしな話であるはずなのに後味は爽やかで、なんだか甘い映画を観たような気になってしまうのはこれがウォン・カーウァイマジックなのか。
観終わった後は、夢のカリフォルニアと夢中人を大音量で聴きたくなる。
天使の涙
夜の香港を舞台にすれ違い、恋をしていく5人の男女たちを描いた群像劇。
当初は『恋する惑星』の一部として描かれていた物語なので、「賞味期限切れのパイナップル缶」「キャビンアテンダント」など、繋がっている要素があるのが面白い。
様々な恋模様が描かれるのだが、個人的に一番心に残ったのはモウと父親のくだりである。
自らが撮影した父親が笑う姿、怒る姿、眠っている姿を繰り返し観るモウ。
映画で人が映像を観るシーンというのは、やはりどこか特別。
誰かを撮影するということは即ち愛情表現なのだということを、改めて感じる作品である。
出会いと別れを繰り返していく私達の人生。
別れを経て悲しみを抱えた者同士がまた出会い、ほんの一瞬の間、心を通わせていくのである。
エンドロールで流れるFlying PicketsのOnly Youがより刹那的。
花様年華
今のところカーウァイで一番好きなのはこの作品かもしれない。
物語の魅力、画面の品格が圧倒的で、IMDBに掲載されている画像の数がこの作品はかなり多いことから、今作の人気度がうかがえる。
大人同士の純愛が描かれており、少しずつ少しずつ、ふたりの距離が近づいていく様には観ているこちらも思わず体温が上昇してしまう。
常にチャイナドレスを美しく着こなすマギー・チャンの姿は目が離せないし、妖艶な煙草の煙に包まれながら、記事や小説の執筆を行うトニー・レオンも魅力的。
誰もが人には言えない秘密を抱えて生きている。
あまりにも儚く眩し過ぎる過去、そしておそらく想いは同じだったにも関わらず叶わなかった恋。
その美しい過去を密かに抱えているからこそ、私達は現在と未来を生きることができるのかもしれない。
「男は過ぎ去った年月を思い起こす。埃で汚れたガラス越しに見るかのように。過去は見るだけで、触れることはできない。見える物はすべて幻のようにぼんやりと・・・」
ブエノスアイレス
どれだけぶつかり合いながらも、「俺たち、やり直そう。」というウィンの言葉で何だかんだいつも彼を許してしまうファイ。
せっかく仲直りのために旅行に来たにもかかわらず、やはり旅先でも衝突してしまうふたりである。
個人的には「喧嘩するほど仲が良い」的な、いつも言い合いをしているけど結局一緒にいるし一番分かり合っているといった関係は全く理解できないので、自分にはない恋愛模様や人と関係性を築く姿を見られるのは映画ならでは。
傷つけることでしか相手に気持ちを伝えられない男達。
チャン・チェンがふたりの関係を掻き乱す役として出てくるのかと思いきや、どこか天使の様な存在感。
主演のレスリー・チャンとトニー・レオンはカーウァイの作品でおなじみだが、今作はほぼこの2名だけのシーンが多数を占めているため、存分に香港の名優コンビを堪能することができる。
2003年に早逝したレスリー・チャン。
彼のどこか危うさも抱えている部分は、『欲望の翼』(1990)といったカーウァイの他作品で彼が演じるキャラクターにも表れているようにも見える。
もっと彼の演技を、表現を見続けたかった気持ちが募る作品である。
2046
日本からは我らがキムタクが出演しているSFラブストーリー。
ここにきてカーウァイの今までの作品にはなかった様な、CGを使った近未来描写が真新しい。
開幕早々、木村拓哉のナレーションで物語が始まる。
個人的に今作の木村拓哉は彼のベストアクトなのではないかというくらいの衝撃を受けたし、劇中のナレーションでは改めて彼の声の魅力にも気付かされる。
『2046』というタイトルはチャウが執筆するSF小説のタイトルであり、部屋番号からきている。
これは『花様年華』でチャウが借りていた部屋だ。
また、「秘密を抱えた人は、山へ行き木に穴を掘り、その中に秘密を語りかける。その穴を泥で塞げば、永遠にその秘密が漏れることはない。」というおまじないのようなものが劇中で印象的に出てくるが、これも『花様年華』で出てきたものである。
チャウが書く『2046』は近未来小説であるが、彼の過去、彼の人生そのものであった。
過去に囚われた男は、その生き様を物語にすることで救われたのだろうか。
「全ての記憶は雨に濡れている。」
永遠の愛などなくても、何も変わらなくても、人々はまた2046に乗車するのである。
ウォン・カーウァイの作る映画には、さまざまな形の愛が存在する。
それと同時に、人間とはやはり孤独なものであるということも描かれている。
寂しさを抱えた「ひとり」と「ひとり」が出会う時、そこに例え一時の儚いものだとしても、愛が生まれるのである。
最近はタイの映画監督ナタウット・プーンピリヤの作品で制作総指揮を務めたりしているが、叶うなら、是非新作を劇場で観たいものである。