Sleaford Mods【3】アルバム Spare Ribs 全曲レビュー
2021年1月、 Sleaford Mods が Jason Williamson と Andrew Fearn の現ふたり体制になってから通算6枚目のスタジオアルバム Spare Ribs がリリースされ、イギリスの総合チャートではバンド史上最高の第4位を記録した(公式インスタグラム、Official UK Charts より)。同年11月17日から12月3日にかけてはUK・アイルランドツアーを行い、前座には盟友 Billy Nomates や詩人グループの 4 Brown Girls Who Write、Goat Girl、Dry Cleaning など、新鋭の女性アーティストたちを中心に起用した。
初日と2日目の公演後は Sleaford Mods 演奏中の舞台袖からの様子とBilly Nomates のそれが互いのツイッターにアップされており、彼らがいかにツアーを楽しんでいたかが見て取れる。個人的に Billy Nomates が上げた音楽都市グラスゴー公演後のイメージも微笑ましく感じた。そしてツアー終盤ロンドンの会場では手話通訳をつけるなど、真のパンク精神を披露してくれた。
はじめに
"Spare Ribs" というアルバムタイトルの由来について Jason は以下のように語る。
「(コロナ感染による死亡者の)かなりの割合が障害者だったことからこの国では特定の社会属性をもつ人々が度外視されていることが分かる。国民の在り方が社会的立場や経済的地位によって左右することについて考えさせられた。俺たちはみんな潜在的には『スペアリブ』。備蓄みたいなもので、資本主義に使い捨てられる担保に過ぎないんだと。」(註1)
資本主義への諦めに近い憤りはこれまでも彼らの音楽やインタビューで言及されてきたが、コロナ禍でさらに問題が浮き彫りとなったことが分かる。しかし当アルバムはこのように今日的な事象を切り取りながら懐古的な側面もあり1枚で複数の時代を感じさせてくれる。
また Sleaford Mods はこれまでに Prodigy や Leftfield など他のバンドに招かれて共作した楽曲が多々あるが、今回は初めて自らコラボレーションを仕掛けた。その相手がすべて女性なのは偶然ではなく、男性デュオとしての彼らの音楽とは異なる表現手段への挑戦として「女性の存在を表象したかった」のだという(註1)。もちろんただ女性であることが選択基準ではなく Jason と Andrew の両者が彼女たちの作風に共鳴していることが大前提ではあるが。
以下、それぞれの楽曲で個人的に気になった表現や背景を振り返りたい。
(*ヘッダー画像出典:公式インスタグラム)
Spotify アルバムプレイリスト
Bandcamp アルバムプレイリスト
《The New Brick》
導入にふさわしく短くて耳触りのよい楽曲だが、さらっと与党について言及している。
《Shortcummings》
先行シングルとしてリリースされた2020年12月にビデオも更新されている。感染対策のため Jason と Andrew が別々に撮影されたことが分かるが、Jason の撮影地はノッティンガムにある古いバーで、彼にとって思い出深い場所らしい。また Jason は監督の Ian Tatham とも旧知の仲で同氏の仕事を高く評価している(註2)。明るくてキャッチーな音調だが最後のサビの二重コーラスには特に Jason の怒りが凝縮されている。
上記の "He"「あいつ」はイギリスの前首相最高顧問 Dominic Cummings を指しており(註1、註3)、タイトル Shortcummings の "-cummings" のスペルは彼の苗字と "-comings" のラフな発音を表記したダブルミーニングになっている。
Cummings は2020年の春、自身らが率いる政府が国民に厳重なロックダウンを強いる最中、家族と自身がコロナウィルスに感染した可能性を危惧しロンドンから実家のコテージがある北部へと「自主隔離を目的に」移動した。その後間もなく一連の行動が明るみに出て、世間と国会に大きな物議を醸した(註4、註5)。また、
という節は Cummings が移動した先が「空き家」だったため他者への感染リスクはなかったと自己弁明したことを受けているのではないかと筆者は考える。同氏が開いた記者会見では地方に「空き家」をもつ特権階級にのみ「自己隔離」が許されるのかという批判が飛び交った(註4)。上記 YouTube 概要欄には Jason の解説が記載されている。
「特権階級の傲慢さは概ね大失敗に繋がる。その失敗は語られざる人々の困窮や公金の搾取と引き換えに、束の間の注目を浴びる。」
《Nudge It》 Ft. Amy Taylor
こちらもシングル曲。オージー・パンクバンド Amyl and the Sniffers(Sleaford Mods と同じく Rough Trade Records 所属)のシンガー Amy Taylor とのコラボレーションである。ヴィデオ中彼女が登場するシーンはメルボルンで撮影されており(註2)イングランドのじめじめ感とオーストラリアの太陽光の対比が楽しめる。当初から Amy Taylor とのコラボを前提に作曲されたもののレコーディングは難航したという。しかし試行錯誤を経た結果完成度は高まり Jason と Andrew は大いに満足しているようだ(註1、註2)。
個人的にはベースラインから Sex Pistols 《Submission》のギター(とベースのユニゾン)リフを、また、途切れずに続くピアノの連打からは The Stooges の《I Wanna Be Your Dog》を思い出した(後者については Jason も言及していたことに気づきうれしかった)。Sleaford Mods の音楽がパンクなのはそのミニマルさが所以のひとつだが、音の骨太さは彼ら特有のものだと感じる。言葉もしかり。
(*イギリスの公営団地は高層の建物が多い。その視覚的インパクトは強く、労働者階級の暮らしを象徴するイメージとして扱われる傾向がある。)
上記 YouTube の概要欄に楽曲の背景が記されている。
「想像して、もしあなたに限られた選択肢しかなく、一週先も見えない暮らしを送っていることを。想像して、住みたくもない湿ったアパートの窓に目をやると『かっこいい建築だね、ブラザー。君の痛みが分かるよ』と言わんばかりに写真撮影する輩がいるのを。
貧困はパントマイムじゃない。もし生活に困窮したことがないなら自分のアイディアに引き付けて使わないでくれ。その結果、実体験者のためのプラットフォームがかき乱され、往々にして創作の突破口が埋もれてしまう。業界は特権階級の色眼鏡でみた世界観に毒されているから。[...]」
これを踏まえて Amy Taylor のパートを聞くと奥深い。
《Elocution》
(*donkey straw:直訳すれば「ロバの藁」だが、調べてみると "straw donkey" という俗語があった。その意味を踏まえて筆者なりに解釈してみた。
**wanker:男性に対して使われる悪態。イギリスではまあまあ頻繁に使われるが日本語にするとやや生々しいので訳は控える。)
タイトルのとおりかしこまった「演説(elocution)」から始まるがその内容はどうも回りくどい。とんちみたいだ。実は Jason 本人もこの語りは特に間違えないようにと緊張するらしく、それだけにやり甲斐も感じているという。当アルバム発売記念 YouTube 特別配信番組(註2)では1942年創業のロンドンの由緒あるライヴハウス The 100 Club における「演説」が挿入された(註6a、6b)。この楽曲を実際に「独立系の会場で演奏してみてどうだった?」と司会者に問われた Andrew は「すごくよかった。うまく作用したと思う」と笑みを浮かべた。
以下該当シーン+パフォーマンス:
さて、長年「独立系」の小さな会場でライヴを行ってきた Sleaford Mods はこの楽曲で何を伝えようとしているのか。そういった会場はふたりにとって特別な場所だろうし、Jason に至っては2020年から「独立系会場」を慰労するキャンペーンに参加し、企画の一環で Billy Nomates や Simone Marie(Primal Scream の現ベーシスト)らと対談もしている(註7)。これらの事象から彼が「独立系ライヴ会場の重要性(the importance of independent venues)」を承知しているのは明白だ。一方で Jason は何かしら賞を受賞したミュージシャンは大抵SNSで同様の問題を訴えていると認識しており、彼らの業績主義を批判する。Andrew もこれに同感し「レコードは売りたいけどオーディエンスに迎合したくはない。そんなことをした時点で(業界の)付属品になってしまう」と見解を述べている(註8)。
当楽曲では Jason がひとり二役演じていると考えられる。ひとりは冒頭の「演説」をするミュージシャン、もうひとりは彼を "wanker" と冷笑する Jason 自身である。以上を踏まえるとこの一節の背景も見えてくる。
《Out There》
ブレグジット(EU離脱)に対する憤慨は Sleaford Mods にとって継続的なテーマであり、この問題についての作品やインタビューは枚挙に遑がない。以上の歌詞からも十分 Jason の怒りが伝わってくるが [...] で省略したフレーズではそれがさらに加熱する。手に余る熱量だったので翻訳は断念した。
そしてアウトロでは
と繰り返される。個人的にこれまでレジ打ちのバイトでは大抵パニクってきたのでなかなか身につまされる響きであったが、上述の文脈を踏まえこのフレーズの背景について次のような仮定を立ててみた。ブレグジットの影響で流通が変動してイギリス国内の店舗が対応に追われている様子、もしくは、コロナ禍でのレジ周りの混乱を反映していると。ただし当楽曲には労働者の視点だけではなく消費者側の視点も含まれており、総じて「生活者」の苦労を読み取ることが出来る。
《Glimpses》
Jason にはふたりの小さな子どもがいる。以下は彼女らと遊びに出たときに思わず「チラ見(glimpses)」してしまう光景なのだろうか。
例に漏れず歌詞の内容は殺伐としているが、曲調はコミカルでアルバム中盤に一息つける。
《Top Room》 Ft. Lisa McKenzie
以下はバンドが普段使用しているノッティンガムのスタジオで収録されたパフォーマンス。米シアトルのラジオ局 KEXP の企画でインタビューも含む(註9)。
(*Marks & Spencer's:イギリスの老舗スーパー/ショッピングモール)
冒頭でつぶやく声の主は Dr Lisa McKenzie。当事者として労働者階級を研究する、ノッティンガム出身・在住の社会学者である。Jason とは以前から顔見知りで同じ価値観を共有する仲だった(註1、註10)。今回 Jason は自身の階級への関心から彼女の参加を乞い、内容はお任せで彼女からモノローグを送ってもらったという(註1)。送られてきた素材からどのようにフレーズが抽出されたのか興味深い。
Lisa McKenzie の英語は表現が砕けている上に Jason よりさらに地方の訛りが強い(Jason の出身地はノッティンガム近隣の町、グランサム)。上記の語りからは大量生産を支える多くの「労働者」の存在を想起させられるが筆者はそこに静かな畏ろしさを感じた。それは彼女の声そのものが地方の労働者階級の嘆きや憤りを帯びているからではないだろうか。「Marks & Spencer's のパンツ」をはじめとする衣類は、質は悪くない割に安価である。それを提供してくれる生産工程には「縫い仕事」をする人々がいる。彼女の語りは、おそらく消費者の多くが(少なくとも筆者は)日々の生活に追われ蓋をしてしまいがちな社会構造を思い出させてくれる。
ではここから Jason の歌詞はどう展開するのか。KEXP パフォーマンス後のトークで楽曲の意味について質問された彼は、ロックダウンのフラストレーションや孤立について歌ったものだと答えている。
「不眠」や「枕」の表現には、ロックダウンのストレスだけではなくJason がアルバム制作中に脊椎を負傷したためしばらく痛みで眠れなかったこと(註8)も影響しているのかもしれない。
そしてまた資本主義への怒りが露わになっている。
《Mork n Mindy》 Ft. Billy Nomates
Billy Nomates とのコラボレーション。シングル盤は発売から約1ヶ月後イギリスのアナログ盤限定チャートで第1位となった(公式ツイッター、Wikipedia より)。Ben Wheatley 監督のミュージックビデオには歌詞の内容が存分に反映されているが BBC の人気音楽番組 Later... with Jools Holland でのパフォーマンスも生感があってよかった。無観客空間に反響するエコーが乙である。(MVともに点滅注意)
ちなみに Sleaford Mods と Billy Nomates が初めて同じステージに立ったのは前述の The 100 Club だが、当番組での共演についても Jason と Billy Nomates は両者とても満足しているようだ(註11)。
この楽曲は2019年ツアー中に初期の形が作られ、その過程で Andrew は Pocket Operator というおもちゃのようなシーケンサー(以下画像参照:註9)を使って実験を楽しんだ模様。サイズは無論、調べてみると値段もお手頃で余計に気になってしまった。こういうガジェットを見つけてすぐさま活用する Andrew の奇を衒わない姿勢が素敵だ。
当初 Jason は自分でサビを歌っていたがどうもしっくり来なかったためふたりが「大ファンだった」Billy Nomates に歌ってもらうことにしたという(註12/彼女のメジャーデビューの一役を買ったのは Sleaford Mods であり互いに「ファン」という関係)。Billy Nomates の歌声はこの楽曲においてとりわけブルース調に聞こえるが語りの部分は Jason のそれに通ずる生身感・吐き捨て感が強い。初めて聞いたとき、ひとつの楽曲のなかでふたりの声の趣が入れ代わり立ち代わり変化していく不思議な印象をもった。
歌詞ではひとり遊びをする子どもが親の離婚などを見て、抑うつした環境で日々を過ごす様子が語られている。ここで離婚する親は "couples" と複数で表されている。Jason の両親も離婚しているが(註3)自身のケースも含めそのような家庭が地域に多かったことと推察する。同時に彼は「(子ども時代の)唯一の救いは、俺の親が一部の友達のチンピラみたいな親たちとはちがって、もう少し物事が見えていたこと」とも述べている(同上)。
後半では成長してからの環境が歌われているようだが特に代わり映えなく鬱々としている。そこに続くのが Billy Nomates の語りとコーラスである。
(*blue Monday:Wikipedia によると、イギリスの気候などを踏まえ年間で最も憂鬱な月曜日を指すらしい。2005年頃から旅行会社が謳い出した都市伝説のようだ。週明けの月曜日は辛いという一般通念でもあるかと。つい New Order の《Blue Monday》を思い出したが、こちらのリリースはさらに遡り1983年。楽曲の破壊力からイギリスの「ブルー」の根深さが感じられる。
**You go:"Go" は俗語で「言う」という意味があり、歌い方の印象や続く "I know" という相槌からも上記の訳を選んだが、シンプルに「あんた」が「ハイ」や「ロウ」になり過ぎるとも解釈できる。)
アウトロは Jason のソロコーラス。
楽しい思い出に繋がりそうな「たんぽぽ」や「ミツバチ」の存在でさえここでは悲しい。Jason は当楽曲における子ども時代の描写について次のように述べている。
「ネガティヴでひどいこと、惨めなことがホントに好きなんだ。(一同笑)。そういうことの方が理想郷の概念やポジティヴ志向よりよっぽど興味深い。人ってある意味そういうふうには出来ていないんだと思う。ずっと自分を取り巻くあらゆることと闘いもがき続きている。確かに俺はこの曲が含むそういったエネルギーが好きだな。子ども時代、思い出・記憶、過去の体験とか、俺たちはそういうのを山ほどもっている。ただその貯蓄から何かを引き出してくるだけというか。子ども時代のテーマは今回のアルバムの底流にあると言える。」(註9)
《Spare Ribs》
序盤に名指しで億万長者をなじったかと思えば、後半では知ったかぶりをする人々、および、バンドがよく「政治的」とみなされることに対する苛立ちをほのめかしている。庶民の生活の不満も歌われているが、格差社会を揶揄しつつ終始「政治」そのものとは距離を取るのが Jason の言葉であり、Sleaford Mods のスタンスでもある。
《All Day Ticket》
海岸線沿いに変わり映えしない景色のなか男は車を走らせる。それでも
という。このフレーズは楽曲の前半「下の句」的に繰り返される。以下は3度目の繰り返し。
サビで繰り返される「1日券(all day ticket)」とは、本当はすぐにでも辞めたい仕事を、毎日、1日ずつ、なんとか乗り切るためのチケットなのかもしれない。ほぼ単音の連打で構成されるトラックのシンプルさはこの男の暮らしの単調さと合致するが、サビでわずかに追加されるメロディーは最後の一音だけ短調から長調に転調していてどこか明るい。また冒頭から断続的に工場の機械音のような素材もサンプリングされていて、これがなんとなく水中で反響しているように聞こえる。海の街の穏やかな景色とそこでの労働に蝕まれる男のイメージが浮かび、その対比が何とも言えない。
と、後半の「下の句」はある意味前半より脅威に感じられる。
《Thick Ear》
徐々に盛り上がるギターのクレッシェンドが懐かしい気がして、何だったかなと思い起こすとフランスのミュージシャン Electronicat の作風だった(《Seveneves》、《Chez Toi》など、楽器は問わず盛り上がり方がなんとなく)。Sleaford Mods の音楽の特徴はビートかつベースラインにあり、この楽曲もそうなのだが、ギターも活躍するものは珍しいので新鮮に響いた。
タイトルの "thick ear" とは耳が腫れるほどのお仕置きという俗語。この楽曲のなかでは様々な相手に「お仕置き」が与えられる。
以上の節からギターのクレッシェンドが始まることに気がつくと勝手な憶測が膨らんだ。ここに「独創的なロッカー」という言葉を乗せることで逆説的に「ロック」=「ギターロック」というステレオタイプに異を唱えるという皮肉? また普段よく Jason が「ギターバンド」を批判していることに鑑みるとそういったバンドに対する皮肉かも? 「植物みたいにぼーっとし出して」という部分の「植物」は文脈的に観葉植物が思い浮かび、ロックダウンのストレスを表しているように聞こえた。ギターのクレッシェンドは「俺」のストレスが増幅していく様とも繋がる。
という節では生活の困窮に加え、《Top Room》と同じく「不眠」への苛立ちも出てくる。
その他、建設業に費やされる労働や寂れた地方の都市開発のような光景も挙げられ、それに続きやはり「俺」が「お仕置き」してやると歌われる。そしてサビでは "whitey" と、白人に対する蔑称が繰り返される。Jason の普段のスタンスを踏まえるとこの呼びかけは白人のブレグジット支持者、とりわけ一部の人種差別主義者を指しているのだろうか……と、またブレグジットの問題と結びつけてしまった。俗語など読み取れないところがたくさんあるが、この歌の「俺」の怒りは伝わってくる。
《I Don't Rate You》
KEXP のインタビューでふたりは当楽曲について次のように述べている(註9)。
Jason「ただ人をなじっているだけ、またね。(一同笑)。好きなんだ、悪態をつき続けるのが。それが正しいか間違っているかなんてどうでもいい。今回のアルバムでも複数の曲でそれをテーマにした、腑に落ちたから。でもそういうメッセージは音楽から派生したものでただの後付けでしかないんだ。 Andrew が作り上げた初期のテクノというか、何というか……。俺には初期の Prodigy とか、テクノ、ハウス系の音に聞こえる。すごくイングランド的な音でもある。」
Andrew「うん、イングリッシュだね。」
Jason「ドラムのパートなんてめちゃくちゃいい。すごくいい。それであの音楽に合うようなヴォーカルとメッセージが必要だと思った。ああいう不機嫌な感じにとても惹かれるんだ。」
本当にこの楽曲のドラムはすごい。おそらくドラムマシーンなのだろうが彼らの他の音楽と比べても少し質が違って、生感が強い。迫力と疾走感、爽快感すらある。そして「悪態」のつき方もとりわけランダムである。サビに続くフレーズはシンプルで辛辣。
インタビューではさらに制作過程について話が広がった(註9)。
Andrew「過去に作った音楽から引き出せるものがかなりある。たくさん作ってきたのがよかったんだ、それがうまく機能するから。スタジオに入って『よし、曲を書くぞ』っていうやり方よりも、気楽にいっぱい作っておく方がいい。」
[...]
Jason「Andrew の音楽はどこからともなくわっと湧いて出るんだよな。いや、そりゃあ明らかに君が何年も、何年も、何年もかけて身につけたスキルから来るものなんだけど。」
Jason の Andrew に対する信頼と敬意が窺える。ふたりが互いの能力やセンスを認め合っている場面は少なくない。それだけにふたりとも見掛け倒しのミュージシャンや業界人が目に余ると感じているのかもしれない。楽曲のなかで「悪態」の矛先は明言されていないが、音楽的トピックと解釈できる箇所がある。タイトル兼サビの "I don't rate you(俺はお前を評価しない)" という文言の "you" にはきっと音楽関係者も含まれている。またその響きは常に「評価(rate)」を促すインターネット文化も風刺している。
《Fishcakes》
タイトルにもある "fishcake" とは、大きめのつみれを平たく揚げたようなイギリスの家庭料理。Jason は楽曲の背景についてこのように語る。
「70年代のイングランドで育ったことについて歌ったもの。公営団地に生まれて、その地域では家も、学校も、教会も、パブも、みーんな同じに見えた。何も特徴がない様子。同時にそれよりいい環境なんて知らなかったからそれはそれでグレートだった。親が新品のクリスマスプレゼントを買う余裕がないような、生活の苦労とか色々。お涙ちょうだい的にはしたくなかったけど、パンデミックの間そういうことについて今まで以上に考えるようになった。」(註12)
とは言え十分お涙誘われる歌詞である。非常にイギリス的な情景ではあるが「アスベスト」や「どんぐり」という言葉、特に前者は、日本のひと昔前の子ども時代とも通ずるものがある。歌詞をじっくり聞くと音まで懐かしく聞こえてくるから不思議だ。
随所に散りばめられた Jason の何気ないひとりハーモニーが(最後のサビを除いてすべてユニゾン)、子ども時代の彼と成長した今の彼のふたつの声のように重なる。Sleaford Mods の楽曲にしては珍しく感傷的な響きをもつ。ただしアウトロではその感傷を断ち切るかのごとく音が転がり、すっと現実に引き戻される。個人的に明るいクリスマスソングを聞くとかえって虚しい気持ちになることがあるので、これからはこの楽曲を Sleaford Mods のクリスマスソングとして聞きたい。
おわりに
この記事を書いている間にも世界の情勢は変わりイギリスでは特に変異株が猛威をふるっている。Sleaford Mods が Spare Ribs ツアーを終えたのはその少し前のこと。全行程無事遂行されて本当によかったと思う。ツアー中に演奏された Yazoo の《Don't Go》のカヴァーはファンの好評を得たためその後間も無く配信シングルがリリースされた。ライヴのチケットは各所で売り切れていたが、こういったエピソードからもツアーの盛況ぶりが窺える。
ただし今後イギリス政府が文化産業に対してどのような政策を取るかは分からないし、深刻な数字に国民は不安を抱いているだろう。そんなイギリス国内では The Kunts なるコミックバンドが《Boris Johnson is STILL a Fucking Cunt》という首相批判ソング(Gary Glitter《Rock and Roll Part 2》の替え歌)を世に放ち、クリスマス直前12月23日の時点でチャート第5位にまで上り詰めてしまった(註13)。批判を越えて、これこそ悪態……。キツすぎて失笑してしまうが、このような事象からも国民の鬱憤が読み取れる。
Sleaford Mods が「なんちゃってクリスマス・プレイリスト」をツイッターに投稿した際に The Kunts と同楽曲でコラボした Cassetteboy が以下のようにリプライしていた。Cassetteboy は相変わらずの芸風で Boris Johnson の音声を巧みに切り貼りしている。The Kunts のプレイリストには色んなヴァージョンが用意されているが、Cassetteboy が言うように本当に「リピート」再生すると頭がおかしくなるのでお気をつけください。それにしてもイギリスの風刺根性は筋金入りだ。
話を本題に戻そう。以上に挙げてきたようにアルバム Spare Ribs にはコロナ禍のストレスが投影されているが、同時に「子ども時代のテーマ」も「底流にある」。Jason が子ども時代を思い出すきっかけになったのは脊椎を負傷したことだったという。彼は数年前に断酒・断ヤクしたがその代わり「ジム中毒」となり、過度のトレーニングが先天性の損傷を悪化させてしまった(註8)。その損傷とは二分脊椎症というもので、12歳のときに手術も経験している(註3、註8)。術後は落ち着いていたがそれまではずっと大変な痛みがあったことを Jason は振り返る(註3)。今回身体的な痛みが再発したことで当時のことを思い出したようだ。子ども時代がテーマの楽曲に限らず、彼がバンドの音楽やインタビューでしばしば言及する「痛み」とは、実はここにルーツがあるのではなかろうか。
先に引用したように Sleaford Mods には「思い出」、「記憶」や「過去の体験」などのストックが山ほどあり、いつでもその頃の心情を音楽に立ち上げることが出来る。それでも彼らの音はその時代に留まらず生々しく響き続ける。そして彼らは各アルバムにおいて同時代の空気もカプセル化してきたが、常に変化を恐れず、よりよい音楽の創作を目指している。
当アルバムでのコラボレーションを Jason は「プロダクション(の質)を押し上げるための手段」と認識している(註8)。そしてその成果は「俺たちを昔の Sleaford Mods から引っぱり出して新たな場所へと導いてくれた」と語っている(註1)。これからも彼らが作り出す「新たな」音楽が楽しみである。
註・参考資料
註1: Under the Radar Podcast with Celine Teo-Blockey(2021年9月24日更新)
註2:Sleaford Mods YouTube - SMtv - Spare Ribs Special(2021年1月17日生配信アーカイヴ)
註3:The Book of Man: An interview with guest editor Jason Williamson
(更新日不明)
註4:Coronavirus: Dominic Cummings says he 'behaved reasonably' in lockdown @BBC News - BBC YouTube「コロナウィルス ー Dominic Cummings はロックダウンのもと『理にかなった行動をとった』と述べる」(2020年5月26日生配信アーカイヴ)
註5:Channel 4 News YouTube - Dominic Cummings tells MPs Johnson ‘unfit’ to be PM(2021年5月27日更新)
Dominic Cummings は後にこの件が問題となり辞職。自身の過ちを認めた。しかし2021年5月には Boris Johnson が「首相に不適任」だと発言し、Johnson 首相のコロナ対策に関する手落ちの数々を暴露したことで再び世間を騒がせた。この諮問会がメディアで報じられたとき Sleaford Mods のツイッター(おそらく Jason)は「俺が Cummings なら今日は犬の散歩に出かけないな」とつぶやいていた。きっと「今さら」感と「どの口が言うとんねん」感から国民の怒りが再燃したのであろう。以前から同氏に対するデモも起きていた。それを受けての Jason の揶揄はなんとも痛快。残念ながら出典URLを保存しておらず、筆者の記憶に依ることをお詫びする。
註6a:2020年9月11日投稿、The 100 Club での無観客配信ライヴの告知。3枚目のオーナーのインタビュー動画では会場の歴史が語られている。ここには今や、名だたるバンドとともに Sleaford Mods の写真も飾られているとのこと。
註6b:2020年9月13日の投稿。Billy Nomates ら前座の写真も含めライヴの様子が一部公開されている。
註7:Independent Venue Week - YouTube
#IVWTake5 - Jason と Billy Nomates の対談(2020年7月7日更新)
#IVWTake5 - Simone Marie と Jason の対談(2021年1月31日更新)
Jason はこの対談で小規模な「独立系会場」は特に若手バンドにとって「ものすごく重要」と熱弁している。自身らの過去を振り返りつつ、その実践的な役割とともに「ロマンティシズム」についても語る。
註8:NME - Sleaford Mods: “We live in such a cynical time. You start to question yourself”「俺たちはなんとも冷笑的な時代に生きている。自問自答し始めるときだ」(更新日不明)
註9:KEXP YouTube - Sleaford Mods - Performance & Interview (Live on KEXP at Home)(2021年5月4日更新)
註10:BOM podcast Ep.2: Jason Williamson and Lisa McKenzie
(サイト更新日不明、Spotify と iTunes の更新日は2021年3月19日)
小見出し:「今回のポッドキャストは Sleaford Mods の Jason Williamson と Lisa McKenzie を迎えた対談。我々は音楽について、そして、階級に対する偏見や、中産階級の人々が労働者階級のふりをすることについて語った」
註11:NME YouTube - Billy Nomates and Sleaford Mods' Jason Williamson | Friends Like These(2021年3月12日更新)
註12:XS Noise YouTube - INTERVIEW: Sleaford Mods' JASON WILLIAMSON on SPARE RIBS(2021年1月13日更新)
註13:Independent - Christmas Number 1: Who will win the 2021 battle between LadBaby and The Kunts?(2021年12月23日更新)
歌詞参考
https://genius.com/albums/Sleaford-mods/Spare-ribs
ディスコグラフィー参考
https://www.discogs.com/artist/2994744-Sleaford-Mods
関連記事
(以上、約2万文字)